私が子供の頃、『瀬戸物』といえばどこの家にもある茶碗や湯のみなど、日常使われる陶磁器の代名
詞になっていた。青い絵付の茶碗などを間違って落として割っても母親に叱られなかったことから、それほ
ど値が張るものでもなかったのだろう。
瀬戸物でも工芸品と呼ばれるものもあり、その代表が「瀬戸染付焼」で、2016年11月に発行された
「伝統的工芸品シリーズ 第5集」の中に、東京アンチモニー工芸品と一緒に収まっている。
陶磁器は『土と炎の芸術』、と喩(たと)えられる。器そのものを造形し、色付けする釉薬も土や石
(鉱物)が原料で、それを焼き締め、酸化・還元作用で天工の味わいを出すのが炎の役割だ。
今回の企画展で
・ 岐阜県東濃地方から愛知県瀬戸市にかけて一帯が陶磁器の一大産地になった地学的背景
・ 釉薬と原料鉱物の関係
・ 中津川独自の陶器「茄子川焼(なすびがわやき)」の釉薬は”ネズミの糞”!?
など、興味深い事実を知ることになる。
( 2016年11月〜12月 情報 )
長野県南部から東濃地方そして愛知県にかけての地質図をみると、苗木(なえぎ)−上松(あげまつ)
花崗岩やその他の花崗岩が分布している。直接的には、焼き物に必要な陶土(とうど:粘土を主とする
原料になる土)が豊富にあることだが、これらの陶土のもととなった粘土を生み出したのが花崗岩なのだ。
つまり、花崗岩があったからこそ、この地方が陶磁器の一大産地になり得た、ということだ。
花崗岩はマグマが地下深くでゆっくり冷え固まった岩石(深成岩)なので、結晶の粒が数ミリと大きい。
中津川周辺でみかける花崗岩を観察すると、透明感があり灰色に見える粒、白い粒、黒い粒が組み
合わさったモザイク状をしている。これらは、それぞれ石英、長石、黒雲母(角閃石の場合もある)という
鉱物だ。
花崗岩は兵庫県御影(みかげ)で産する「御影石」、茨城県笠間に産する「稲田石」などと産地名で
呼ばれることもある。国会議事堂や最高裁判所など国を代表する建物から、個人の家の墓石にまで
使われる身近な石材の一つだ。
新鮮な花崗岩は堅牢で美しい石材だが、風化しやすいという弱点もある。それは構成している3種の
鉱物の粒が大きく、しかも熱膨張率などの性質が違うため、地表付近の寒暖差の大きい環境では、
粒子ごとに膨張・収縮を繰り返すことで結合が緩み(物理的風化)、はがれた鉱物の小さな塊が砂状に
なって崩れていく。こうしてできた、粗い砂をマサ(眞砂)、と呼ぶ。
花崗岩は、鉱物粒子がバラバラに分離していく「物理的な風化」と同時に、その組成(化学成分)が
変化する「化学的な風化」を受ける。マグマが冷却していくと花崗岩が収縮することでできた割れ目(節
理:せつり)や結晶粒の境目(粒界:りゅうかい)から雨水や地下水が染み込み、花崗岩を構成する
長石や雲母は水と反応して粘土鉱物に変質する。
カリ長石 カオリン 水で流れ去る
2KAlSi3O8 + 10H2O + CO2 → Al2Si2O5(OH)4 + { K2CO3 + 4H4SiO4 }
カリ長石は、二酸化炭素(CO2)を溶かしこんだ水(H2O)と反応して分解され、粘土鉱物の一種である
「カオリン」になる。
黒雲母は、「金雲母」【Phlogopite:KMg3[AlSi3O10](F,OH)2】)と「鉄雲母」【Annite:KFe2+3[AlSi3O10]
(OH,F)2 )の中間的な固溶体に相当するもので、カリウム(K)が逃げ出して、代わりに水(nH2O)が入り
込み、「加水雲母」と呼ぶ粘土鉱物に変化する。
花崗岩の風化のプロセスを下の図に示す。寒暑・降水量などの気象条件が極端に変わらない日本
国内であれば、時間が長ければ長いほど、つまり花崗岩が誕生してからの時間が経過していればいる
ほど生まれる粘土鉱物の量は多いことになる。
花崗岩の風化作用は、焼き物に適した良質な粘土を生み出す一方で、時に土石流などの深刻な
災害をもたらす。風化によりマサ化した花崗岩は崩れやすく、雨が降るたびに土砂を流出させ、「砂防」
対策が必要になる。花崗岩ペグマタイ鉱物の産地として有名な滋賀県の瀬田川の上流域、田上山
(たなかみやま)一帯が『日本の近代砂防発祥の地』とされているのも理解できよう。
集中豪雨のときには、土石流となって土砂災害を引き起こす。土石流が起きるとマサ化した部分だけ
でなく、風化核になっていたブロック状の花崗岩塊も濁流水とともに流下し、下流域に甚大な被害をも
たらす。
2014年8月20日に発生した広島市の土石流は広島花崗岩の分布域でおきたものだ。そのひと月余り
前の7月9日に、苗木-上松花崗岩と木曽駒花崗閃緑岩の境界付近で発生した土石流が長野県
南木曽(なぎそ)町を襲った。博物館から自宅に戻るときに国道19号線で災害現場を通りかかったが
生々しい傷跡が残されていた。
こうして花崗岩が風化して生まれた「粘土」とはどのようなものだろう。堆積物の粒子を大きさで分類し
たとき、一番細かいものが「粘土」だ。学会で定義が違うか、地質学では、直径1/256ミリ(約0.004ミリ
= 4 μm(マイクロメートル)以下の粒子を「粘土」と呼ぶ。細いものの代表とされる髪の毛の太さが 約
100 μmだから、” 髪の毛の1/25 ” という細かさだ。
粘土の主体をなす粘土鉱物は、薄くはがれる性質をもつ雲母と同様の層状珪酸塩鉱物で、六角
板状や細い管状をなし、結晶内や結晶の間に ” 水 ” を含んでいる。
粘土が粘り気をもち、様々な形に成型できるのは、粘土鉱物の結晶の重なりが、力を加えると”ずれる”
性質があるからで、これを”可塑性(かそせい)”という。
加熱すると、温度の上昇につれて結晶間の水が抜け、さらに結晶内に含まれる水が抜けることによって、
可塑性を失って固くなる。焼き物は、こうした粘土の性質をうまく利用している。
陶土の資源として利用されるためには、性質の似た(均質な)粘土が多量に埋蔵されていることが望
ましい。この地域の陶土層はどのようにしてできたのだろうか。
苗木−上松花崗岩は、7,000万年〜6,000万年前に地下でマグマが冷え固まってできた。私が住む
甲府盆地北部の花崗岩は約1,200万年前に誕生したとされるので、それに比べいかに古いかがわかる。
東濃・瀬戸地方で陶土層が形成され始めた700万年前頃には花崗岩層は地表に露出していた。
さらに、この地域では断層活動によって一辺が300メートル〜2キロほどの四辺形をした盆地が多数でき、
そこに花崗岩の風化物が堆積して陶土層を形成していった。
花崗岩を構成する鉱物の内、石英は風化に強く、長石や雲母類のように粘土化しない。石英の粒を
含む粘土は、雨でぬれると石英がカエルの目のように光って見えるところから、「蛙目(がいろめ)粘土」と
呼ばれ、蛙目粘土の上部には、目の細かい粘土が植物の根や木片などとともに堆積する。これが「木節
(きぶし)粘土」である。木節粘土は、含まれる有機物の量により、白色から黒褐色までさまざまな色を
している。
陶磁器をなぜ「瀬戸物」と呼ぶのだろうか。東濃・瀬戸地方では、今から1,000年ほど前の平安時代
から素焼きの須恵器が焼かれていた。鎌倉時代に中国から製陶技術が伝えられ、信長や秀吉が活躍
した桃山時代(16世紀末期)には、茶の湯の流行により志野(しの)・織部(おりべ)といった「美濃桃山
陶」が生産され、経済の中心だった関西に数多く出荷した。
江戸時代になると、九州の「唐津焼」などの興隆によって西日本の市場を奪われてしまい、新たな
一大消費地の江戸に食器類をはじめとするさまざまな日用品を供給した。
19世紀初頭(文化年間)に、薄くて丈夫な磁器製造の技術が確立し、瀬戸・東濃地域は日本最大
の陶磁器産地に発展した。
これ以降、江戸を含む東海より東の地域では、陶磁器を「瀬戸物」と呼ぶようになった。一方、唐津
の港から運ばれる製品が流通する西日本では、「唐津物」が使われていた。江戸時代の舟運に代わって
鉄道輸送が盛んになった昭和初期ころからは、西日本にも「瀬戸物」という言葉が広まったようだ。
平成26年の陶磁器の都道府県別出荷額を見ると、岐阜県がトップだ。
釉薬の主成分はアルミナ(酸化アルミニウム:Al2O3)と珪酸(SiO2)に、ナトリウム(Na)、カリウム(K)
などのアルカリ金属、カルシウム(Ca)などのアルカリ土類金属が加わったもので、天然の鉱物では長石が
同じような組成を持っている。アルカリの成分は、珪酸を溶けやすくする働きがあり、焼き物を焼く 1,200
〜1,300 ℃ で溶けるため、ガラスになる。
釉薬ができたキッカケは、窯を焚く薪(たきぎ)の灰(はい)が焼き物に降りかかって溶けた自然釉(灰薬:
かいゆう)と考えられている。灰は草木を燃やした後に残った植物に含まれるミネラル分で、珪酸やカル
シウムなどのアルカリ成分を含んでいるため釉薬となった。現在でも灰を使った釉薬は使われている。
着色には、鉄や銅などの金属成分がかかわってくる。遷移元素と呼ばれるこれらの金属は、酸化状態
によって様々な色を示す。そのため、焼き方、酸化焼成か還元焼成か、によって、同じ成分でも全く
異なる色になる。
釉薬の原料に使われてきた鉱物には、「カリ長石」、「褐鉄鉱」、「リシオフォル鉱」がある。
・ カリ長石
長石は釉薬の主要な成分をすべて含む鉱物で、ほとんどの釉薬の主原料になっている。
志野焼は、桃山時代につくられた美濃焼を代表する焼き物の一つで、長石を原料とする白色
の釉が特徴だ。土岐川河畔では、かつて志野焼の釉薬につかうためのカリ長石を採掘したと考え
られるペグマタイとの堀場跡が発見されている。
・ 褐鉄鉱
褐鉄鉱は、水酸化鉄(針鉄鉱(ゲーテ鉱)・鱗鉄鉱:FeO(OH))や酸化鉄(赤鉄鉱:Fe2O3)の
混合物で、鉄さびと同じものだ。
釉薬の原料として使われているのは、水に溶けだした鉄分が地層中で晶出し、周囲の砂粒や
礫(小石)を固めたもので、砂層中で板状になったものを「鬼板(おにいた)」、礫層中で塊状に
なったものを「壺石(つぼいし)」あるいは、振ると鳴る所から「鳴石(なるいし)」や「鈴石」などと
呼ぶ。
ベンガラ(弁柄、紅殻)や代赭(たいしゃ)と呼ばれる赤色顔料(絵の具)も主成分は酸化鉄だ。
・ リシオフォル鉱
藍(あい)色の絵付けに使われる「呉須(ごす)」は、コバルト(Co)を含む陶磁器用の顔料だ。
現在は、成分を調整した合成品がほとんどだが、もともとは、「呉須土(ごすど)」あるいは「呉須岩
(ごすいわ)」と呼ばれる天然のものを利用していた。
天然の呉須は、アスファルトのような黒色塊状で礫の表面に固着して産出し、その主成分は
マンガン鉱物のリシオフォル鉱【LITHIOPHORITE:(Al,Li)Mn4+O2(OH)2】だ。
茄子川焼を語るときに忘れてはならない陶芸家が成瀬誠志(なるせ せいし:本名 和六,1845-1923)
だ。茄子川で生まれ、13歳で茄子川焼の窯元の徒弟になった。1866年(慶応2年)独立するが、1871年
(明治4年)、新天地を求め江戸に出て、江戸薩摩と呼ばれる絵付け陶器の製作で名を上げた。
1889年(明治19年)、地元・茄子川に帰って、「陶博園」という工房を開き、ここで数多くの作品を
制作した。
誠志は、作陶だけでなく製法や陶土・釉薬の研究にも熱心で、特に1894年(明治27年)ころ、苗木
産の鉱物から創り出した黄色釉薬は『誠志色』と呼ばれ、その美しさが賞賛された。
『誠志色』のもととなった鉱物は、「フェルグソン石」【FERGUSONITE-(Y):YNdO4】で、発色には成分中の
イットリウム(Y)が関係していると考えられる。
フェルグソン石は、明治時代に中津川市高山地区で砂錫採掘に伴って産出し、その形から苗木地方
の俗称 ”ネズミの糞” と呼ばれた。現在でも木積沢(きちみさわ)はじめ、河川や沢で採集可能だ。
1899年(明治32年)の大日本窯業雑誌に、『アスカイ黄』と命名された黄色釉薬についての記事が
掲載されている。
「1896年(明治29年)に恵那郡高山(現 中津川市高山)産のフェルグソン石から黄色顔料を見出
した」というもので、これも『誠志色』と同じものと考えられる。
ネットで調べてみると、『アスカイ黄』とは、名古屋の飛鳥井孝太郎がフェルグソナイトを用いて発明し
た黄色の釉下彩だとある。商標登録や特許などに気を配らなかった時代のできごとだ。
@ 孫娘2人が揃ってピカピカの1年生、一人は七五三を祝う
A 妻が23年勤めた考古学の仕事を退職
B 私は2年間務めた町内会役員を卒業
C 小学生からシニア世代とミネラル・ウオッチングで山行
D 107日間地球一周の旅
ニュースがないということは、” 無事これ名馬 ” だと合点する ” Mineralhunters " だ。
(2) 「感情で、安倍とオバマが喧嘩」!?
今年も趣味で研究しているテーマの1つ、「戦争捕虜」、「シベリア抑留」関連の品々を入手したり、
本を読んだ。その中の1冊に、「トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所」がある。
第2次世界大戦で捕虜になった日本人将兵、外交官、民間人の中から情報価値の高い者を
選別し、カルフォルニア州東コントラ・コスタ郡バイロン・ホットスプリングスにあった暗号名「トレイシー」
と呼ばれる「尋問センター」に勾留し極秘裏に尋問した。アメリカはこの「尋問センター」について戦後
長い間極秘にしてきた。それは、ここでは情報収集のために採った盗聴など、ジュネーブ条約に違反
する行為があったからだ。さらに、尋問で証言した捕虜たちが帰国後、故国で不利益を被ることを
危惧した米軍関係者が頑(かたく)なに秘密を守ったからだとされる。
逆に言えば、『生きて虜囚の辱めを受けず』の教育を受け、捕虜の義務と権利そして取り調べに
当たっての対応を知らない兵士たちはいとも簡単に軍事機密を”ペラペラ”と喋(しゃべ)ったかだ。映画
「大脱走」でスティーブ・マックイーン扮する米人捕虜が、氏名・階級・認識番号以外口を閉ざして
いたのとは対照的だった。
聞き取りが中心の尋問する側が苦労したのは、日本語の @ 方言 A 同音異義語 だったよう
だ。
私は小学校2年生の冬休みに、福島県から隣の茨城県に転校した。”い”と”え”の発音や、同じ
ものの呼び方が違う”方言”には苦労した。戦前であれば方言はもっと強かったはずだ。
同音意義語での”笑い話”のような本当の話は今でも日常茶飯事だ。毎年年末になると清水寺
が”今年の漢字”を選んで発表する。それを予想する番組や記事もあるほどだ。2016年の「正解は
金だ」を漢字変化しようとキーボードに入力すると、「政界は金だ」と出たと読売新聞にある。
ラジオを聴いていると、「感情で、安倍とオバマが喧嘩」と聞こえてきた。よくよく聞くと2人が真珠湾で
会って、アリゾナ号「艦上で安倍とオバマが献花」する予定だというニュースだった。