北極圏をめぐる地球一周の旅 【アテネ第一日目】 ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - 1st Day in Athens - )









      北極圏をめぐる地球一周の旅  【アテネ第一日目】

         ( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - 1st Day in Athens - )

1. はじめに

    スエズ運河通過の予定が1日早まり、5月8日に地中海に入った。それ以降、日程が1日ずつ前倒しに
   なっていたが、ギリシャのピレウス港で予定より1日多い5月12日、13日と2日間停泊することで帳尻合わ
   せすることになった。

    5月11日19時にギリシャのサントリーニ島を出港し、翌12日7時にギリシャの首都・アテネに最も近い
   ピレウス港に入港した。
    アテネでは、次のような楽しみを計画していた。

    @ オリンポス神殿をはじめ、古代ギリシャの遺跡巡り
    A 「貨幣博物館」になっている、シュリーマン旧宅訪問
 トロイ遺跡の発掘者)
    B アテネ大学「鉱物博物館」訪問

    このほか、C 郵便局巡り D 骨董店巡り E ミネラル・ウオッチング(鉱物観察) など折あらば、と
   機会を伺っていたのは言うまでもないだろう。

    横浜(神戸)を出港してちょうど1ケ月が過ぎ、同室者以外の十数名の乗客の名前は無論、住んで
   いる都道府県、経歴(前現職)、嗜好(お酒やたばこ)、そして趣味などもわかり、なんとなく気の合う
   グループのようなものが出来上がりつつあった。(離合集散は人の常だが)。乗客の中には、私が鉱物
   (面倒だから鉱物のわからない人には、単に”石”)や郵便切手、そしてコインなどに狂おしいほどに入れ
   あげているというのが評判になりつつあった。

    アテネの第一日目はそのグループの皆さんと@を楽しむことにした。A、B には興味のある人も少ない
   ようなので、第二日目に単独行動で回ることにした。
   ( 2016年5月12日 体験 )

2. アテネの街へ

    第一日目は、1週間ほどまえからアテネ観光地巡りを下調べしてくれていた九州・Sさんの案内で、
   Sさんの奥さん、Y夫妻、I夫妻、博多の姐御、そして同室のH先生と古代ギリシャ遺跡を観光して回る
   ことになった。

    ピレウス港はアテネ中心部から南西に約10キロほど離れていて、遺跡や博物館がある旧市街までは
   電車、バス、あるいはタクシーに乗らなければならない。

      
                  ピレウス港とアテネ中心街

    8時に船を出てピレウス駅を目指して歩くことにした。港の入り江を反時計方向に巻くように30分ほど
   かかって半周もすると駅のある広場に出た。通勤ラッシュの時間帯だからだろうか、車の通りも賑やかだ。

         
             ピレウスの街の風景                       ピレウス駅

    駅の切符売り場に並んで、ピレウス中央駅までの切符を買う。1.4ユーロ(約175円)くらいだったろうか。
   ホームで10分も待っていると、入ってきた電車の車体にはスプレーで落書きされていて、街が荒れている
   ことをうかがわせた。
    車内は混雑していて、座ることはできなかった。古びた車両の乗客は地元の労働者風や買い物の
   おかみさん風の人が多い。ドアの前に立っているH先生の方を向くと、人相の良くない男たちが2、3人で
   取り囲みだした。先生はと言えば、腰に着けたウエスト・ポーチを”さあ、とって下さい”と言わんばかりに
   突き出し、上体をひねって車窓の風景に気を取られている。男たちは、黒髪、ヒゲの濃さなどから中東の
   難民風だ。思わず、「H先生!! 腰のバックに気を付け!!」、と叫んだ。
    H先生がウエスト・ポーチに手をやって抱え込むようにすると、周りの男たちや反対側のドア付近にいた
   同じ風体の男が一斉に忌々(いまいま)しそうな顔で私の方を睨(にら)んだ。
    こうしてH先生は事なきを得たが、私が聞いただけでも、この日盗難や強盗に遭った船客が数名いた。

    約15分も走ると電車は地下に潜り、30分弱でラリッサ(アテネ中央)駅についた。

3. アテネ市内観光

        ラリッサ駅でメトロ(地下鉄)2号線に乗る。地下鉄は90分間乗り放題で、料金は1.4ユーロだ。

      
                メトロなどのチケット類

    車内にはカラフルな服装の欧米からの観光客も大勢いて明るい雰囲気だ。ピレウスから乗ってきた
   電車とは大違いだ。オモニア駅でメトロ1号線に乗り換え、次のモナスティラキ駅で降りる。ここが、市内
   観光のスタートポイントだ。

      
                 アテネ観光地図
                   【第一日】

    この日のコースは次の通りだ。スタートポイント S から終点 E まで、約1キロだから、十分歩いて
   回れる狭い範囲だ。

     S モナスティラキ駅 → @ ローマンアゴラ → A 古代アゴラ → B 古代アゴラ博物館
     C パルテノン神殿 → D ランチ → E シンタグマ駅(郵便局)

3.1 アゴラ
 (1) 古代アゴラ
     古代アゴラ(Ancient Agora)は、古代アテネの中心地として栄えた場所で、政治・経済・文化の
    中心として、当時は常に多くの人々でにぎわっていた。
     男性たちが買い物をしたり(当時は男性の役目だった)、政治について議論したり、雄弁家の演説
    に耳を傾けたり、物だけでなく知識や情報を交換する場だった。周囲に様々な公共施設が配置され
    た広場・市場で、市民交流の場でもあり、民会(エクレシア)も、後にプニュクスに移されるまでは、ここ
    で開かれた。
     ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年)もここでたびたび問答を交わし、紀元前3世紀に
    起こったストア派もこのアゴラ北面の「ストア・ポイキレ」(彩色柱廊)を拠点としたことから、その名が
    付いた。
      多くの建物はほとんどは廃墟になってしまっているが、残された石造物から当時の人々の息遣いが
    感じられた。

             
                             古代アゴラ配置図

         
           ヘファイストス(テセウス)神殿              アタロスの柱廊(古代アゴラ博物館)

      ヘファイストス(テセウス)神殿は、ギリシャ国内で最も原形を残していて、パルテノン神殿と同じ時
     期の紀元前450年〜440年ごろに建てられたといわれている。アテネ市の宗主であったテセウスゆかり
     の彫刻などが多く施されていることからテセウスの神殿と思われていたが、現在はオリンポス12神の
     一人、鍛冶を司(つかさど)るヘファイストスを祀った神殿という見方が有力になっている。発掘調査
     が進むにつれ、周囲から鍛冶にかかわる遺物がたくさん発見されたからである。

      古代アゴラ博物館の入り口にあるアタロスの柱廊は、ギリシャ遺跡の中でただ一つ、完全に復元
     された建造物だ。長さ115m、幅約20mの2階建てで、建築様式は典型的なギリシャの柱廊になっ
     ている。
      1階の外側に45本のドリア式列柱が、中間に22本のイオニア式列柱が並んでいる。2階は、外側に
     イオニア式、中間にはエジプト式棕櫚(しゅろ)柱頭の列柱が配されていて非常に美しい。当時は
     赤と青で彩色されていたと考えられ、この建物のあたりが人通りが最も多いところだったという。

      古代アゴラ博物館にはここで発掘されたものがほとんど収蔵されている。博物館の入り口近く、
     列柱の南端には勝利の女神・ニケの像がある。

      アゴラの遺跡には自然が残されていて、1匹の亀が”ノソリ、ノソリ”と歩いていた。(カメは万年という
     から、紀元前の出来事を見ていたかも・・・・・。 )

         
            勝利の女神・ニケ像             古代アゴラの亀

 (2) ローマンアゴラ
      アテネの街にはローマ時代になってから作られたアゴラの遺跡・「ローマン・アゴラ」が残っている。
     ローマン・アゴラは、ローマ時代(紀元前1世紀〜2世紀)のアゴラ(市場)の跡とされる。
      この遺跡で一番の見どころは、通称「風の塔」と呼ばれる、紀元前1世紀にごろ天文学者・アンド
     ロニコスの設計で建てられた日時計、水時計、風向計を組み合わせた八角柱の建物だ。ギリシャ
     やローマ時代のほとんどの建物と同じように大理石で造られている。

              
                                 風の塔

      屋上にあったとされる風向計はなく、建物内部にあった水時計も”水槽”の遺構を残すだけだ。

      塔の上部の8つの面にはそれぞれの方位を示す風の神のレリーフが彫られている。ボレアス(北風)
     スキロン(北西風)、ゼフュロス(西風)、リプス(南西風)、ノトス(南風)、エウロス(南東風)、アペ
     リオテス(東風)、カイキアス(北東風)。これらの風神像はそれぞれが、その風にふさわしい服装で、
     持ち主が特定できる”アトリビュート(持物:じぶつ)と共に描かれている。
      例えば、北風は分厚い上着を着て、雨水か雹(あられ)が入っている水桶をもち、南風は薄い
     マントを着て、花か船尾楼(夏は地中海の航海シーズン)をもっている。

         
                                風神のレリーフ

      レリーフの下、八角形の角近くに日時計の”針”が突き出している。この影が壁面に投影され、そこ
     に刻まれた”刻線”で時を知ることができたようだ。

3.2 パルテノン神殿
    古代ギリシア時代にアクロポリスの丘の上に建設された、アテネの守護神であるギリシア神話の女神
   アテーナーを祀る神殿だ。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完成した。装飾等は紀元前
   431年まで行われた。パルテノン神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造
   物の最高峰と見なされる。装飾彫刻もギリシア美術の傑作である。この神殿は世界的な文化遺産と
   して世界遺産に認定されている。

    神殿は完全な新築ではなく、この地には古パルテノンと呼ばれるアテーナーの神殿があったが、紀元
   前480年のペルシア戦争にて破壊された後に再建され、当時あった多くの神殿と同様にデロス同盟、
   そして後のアテナイ帝国の国庫として使われた。6世紀にはパルテノン神殿はキリスト教に取り込まれ、
   マリヤ聖堂となった。オスマン帝国の占領後の1460年代初頭にはモスクへと変えられた。

    1687年9月26日、オスマン帝国によって火薬庫として使われていた神殿はヴェネツィア共和国の攻撃
   によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けた。1806年、オスマン帝国の了承を
   得たエルギン伯は、神殿から焼け残った彫刻類を取り外して持ち去った。これらは1816年にロンドンの
   大英博物館に売却され、現在でもエルギン・マーブルまたはパルテノン・マーブルの名で展示されている。
   ギリシア政府はこれら彫刻の返却を求めているが、実現には至っていない。

    パルテノン神殿は部分的な修復や保全など、後世に伝えるための再建計画が進行していて、われ
   われが訪れたときも重量物を運搬するクレーンや高く組み立てられた足場が見られるなど、世界遺産
   の知られざる一面を見た。

            
                              パルテノン神殿

        
                   クレーン                              足場

     このように古代ギリシャの多神教、イスラム教などの影響を受けたアクロポリスの建物の中にパルテノ
    ン神殿の北東に少女の像の柱で有名なエレクテイオン神殿がある。紀元前5世紀末に完成したイオ
    ニア式建築の代表作で、かつてはアテナの女神像が安置されていた。多くの聖蹟と神格の祭祀所を
    一つの建物にまとめたので複雑な構造をしていて、見る方向(面)によって全く違った印象を受ける。
    6体の少女の像の細い首の部分で玄関の屋根の重さの一部を支えているのは驚きだ。

            
                             エレクティオン神殿

     アクロポリスのパルテノン神殿はアテネ観光の”メッカ”とあって、丘の下の入場券売り場には長い列が
    できていた。われわれは、あまり人気(にんき)のないローマンアゴラに入る前に8つの施設の入場券が
    セットになった30ユーロ(約4,000円)のチケットを買っておいたので、待ち時間なしで入場できた。

     【後日談】
     2日目はシュリーマン旧宅やアテネ大学の博物館を訪れたため、下の写真に示すように8か所の内
    4か所しか回れなかった。このほかに、「ギリシャの博物館」の入場券を6ユーロ(約750円)で買っておい
    たのだがこれも回れなかった。合計で21ユーロ(約2,600円)分は使わずじまいだった。
     見たい場所が少ないなら、その都度入場券を買った方が得だ。

     約1,000人の船の乗客のほとんどがパルテノン神殿を訪れたと思われ、多くの外国人に混じって
    ”チラ”、”ホラ”その姿を見かけた。神殿前で同じ船客で親しくしているアメリカ人W夫妻と偶然お会いし、
    記念写真を撮影した。

        
              8か所綴りの入場券                      W夫妻と紀念写真

3.3 ギリシャ料理でランチ
     登った道を下ってアクロポリスの丘の麓に着き時計を見ると昼時だった。ランチを摂ろうということになっ
    て、いくつかのレストランに当たってみると涼しそうな木陰に洒落た店があった。少し繁華街から離れて
    いるのとお昼まで少し間があったせいか、まだ客はほとんどいなかった。見晴らしの良い2階のテーブルに
     案内してもらい、まずはビールで乾杯だ。ギリシャをはじめ地中海沿岸諸国は日差しは強いが乾燥し
    ているので日陰に入ると心地よい。ビールが乾いた身体に染み込んでいくのがわかる。

     サラダに始まり、キャベツのロール巻、ミートボール、野菜炒めなどが次々と運ばれてくる。その量の
    多さには驚かされる。
     われわれのテーブルの隣では、従業員が皿の上でオリーブ油(?)を燃やしながら炙(あぶ)ったアツ
    アツのソーセージを出してくれる。料理の味付けは、キプロスなどと同じで少し塩味が強い気がしたが、
    美味しくいただいた。

        
           テーブルの脇で調理             次々運ばれる美味しそうな料理
                                       【美味しかった!!】

4. ミネラル・ウオッチングと郵便局巡り

      4.1 アテネの郵便局
    ギリシャ人なみに昼食にタップリ時間をかけたせいで、レストランを出たのが1時半ごろだった。街中の
   お土産物店を冷やかしながら歩いて行くと、シンタグマ駅近くにいた。時間は3時少し前だった。
    朝から背中のバッグに入れて持ち歩いている孫娘、石友、旅友、集友、そして友人あての絵葉書を
   出さなければならず、郵便局の場所を尋ねると、近くにあるというので教えられたとおりにい行ってみた。

        
                 外観                            窓口
                              アテネの郵便局

     局の前には郵便のシンボルの黄色いポストがあり、建物の壁には、ギリシャ語で ” Ελληνικα 
    Ταχυδρομεια "、 その脇に小さく英語で ” Hellenic Post ”(ギリシャ郵便) とあり、「郵便局」だと
    わかる。略称は、ギリシャ語のそれぞれの頭2文字をとり、 ” ΕΛΤΑ ” と表記している。
     中に入ると、窓口が3つほどあり、日本までの絵はがき送料を尋ねると「0.8ユーロ(約100円)だ」、と
    いうので必要な数だけ切手を買って40通を差し出した。ここで、手持ちのユーロが底をつき、博多の
    姐御に50ユーロ借りて急場をしのぐ。(完済までしばらくかかることになる)

     局の中を見渡すと、日本の大都市の郵便局と同じように切手の原画が飾られていたり、切手など
    の郵便グッズを売っている。ただ、欲しいものがなくて、パスだった。

        
             切手の原画展示                    販売している郵便グッズ

     【後日談】
      ギリシャで投函した絵葉書は10日ほどで日本に届いたようだ。窓口で買った水中の遺跡を描く
     0.8ユーロ切手と日本から持参した鉱物や火山を描く切手を貼って差し出しておいた絵葉書と封書
     も無事自宅に届いていた。

      
                    アテネで投函した絵葉書
             【ギリシャの鉱物「XAΛKOYXA(輝銅鉱)」切手貼】

      
                      アテネで投函した封書
               【「ミロス島(左) サントリーニ島(右)」切手貼】

      帰国後会った郵趣(切手の)会のTさんから、「切手の国名は英語で表示するようになっているが
    表記がなくて、どこの国から出したかわからなかった」、といわれた。学校で教わった英語のギリシャは、
    ”Greece" だが、切手にはあまり、というよりほとんど馴染(なじ)みのない ” HELLAS ” とある。これも、
    ギリシャを意味する英語なのだ。奈良・法隆寺の中太の柱(エンタシス)などに影響を与えた、
    「ギリシャ風」を”ヘレニズム”と呼ぶと知れば、”なるほど”、と合点される人も多いはずだ。
     ちなみに、日本の切手には、 ” JAPAN ” ではなくて、 ” NIPPON " とあるのと同じと考えれば、得心
    されるはずだ。

4.2 アテネでミネラル・ウオッチング
     パルテノン神殿のあるオリンポスの丘からアテネの街を見下ろすと、ところどころに丘が見られるだけで、
    船が停泊した海抜数メートルのピレウスの街とあまり変わらないようだ。逆に、アテネの街中からオリン
    ポスの丘を見上げるとちょっとした小山だ。妻に送ったパルテノン神殿の絵葉書がオリンポスの丘の地形
    をよく示している。

      
                絵葉書「オリンポスの丘とパルテノン神殿」

     パルテノン神殿の建設に当たって、基礎として「固い石灰岩を積み重ねた」、という記述がみられるが、
    岩を人力で積み重ねてこれだけの山を造るのは難しく、土台となる地山があったはずだ。

     すでに述べたように、私の鉱物(ほとんどの人は鉱物の何たるかを知らず、単に石と誤解している)
    好きは船の中でも有名になりつつあった。
     アテネの街の某所を歩いていると、アテネを案内してくれたSさんの奥さんが、「MH!!、ここに変な石
    がある!!」、と教えてくれた。そこには石灰岩の露頭がむき出しになっていて、透明な結晶が帯状に、
    つながっている。

        
              石灰岩の露頭                     透明な結晶の帯!!

     オリンポスの丘をはじめ、アテネ周辺で小山を形成しているところはサンゴ礁などが海の底に堆積して
    熱変成を受けた石灰岩が隆起したもので、結晶化が進んだ部分は透明な方解石になっている。
     旅の後半、カリブ海の国キュラソーを訪れたが、そこの地質も同じで、日本でもわれわれに馴染み
    深い長野県川上村の甲武信鉱山の一部なども似た地質だ。露頭の下に落ちていた「方解石の
    結晶」を観察できた。

    【後日談】
     船に戻ると何人かの旅友が、「石を拾ったから持って来てあげた」、といろいろな”もの”を大事そうに
    包んだ紙から出してくれた。「大理石(晶質石灰岩:方解石)」、ギリシャ時代(?)の陶片、そして
    化石にはなっていない現生動物の歯(?)などいろいろだ。

        
            方解石                  大理石【晶質石灰岩:方解石】

        
                  陶片                           動物の歯(?)

5. おわりに

 (1) ギリシャ経済危機の実態
      ギリシャ本土に上陸して乗ったアテネ行きの電車で強盗に遭ったり、危うく難を逃れたりするのを
     見聞きして”ギリシャは物騒な国”だと思った。しかし、アテネの街中に入ると、外国人観光客が多い
     せいか、”怪しげな人々”は影を潜め、レストランや土産物店で働く人々は明るく愛想よく、私が思っ
     ていた南ヨーロッパの人々そのものという印象だった。

      前日のサントリーニ島でもそうだったが、観光客で潤っている地域は経済的にも恵まれ、そうではな
     いピレウスの港町のような地域とは”地域格差”が明らかだ。

      ギリシャ経済危機の時に指摘されたのは、「ギリシャ人は、若いとき(ほかの国に比べて)から高額の
     年金を受け取って働かないからだ」、というのがあった。さらには、EU諸国からの財政支援に対して、
     「現在ヨーロッパの先進諸国が文化的な生活を送っていられるのは古代ギリシャ文明の恩恵を受け
     ているお蔭だから、支援するのは当然だという風潮がある」、というものまであった。

      現地を訪れてみて、人々はそれなりにまじめに働いてはいるが ” 働く場が少ない ” のが一番の
     問題だと感じた。同じ事は、日本でも参考になりそうだ。

 (2) ギリシャ文明の残り火
      ギリシャ文明の影響は、遠く離れた極東の島国日本の奈良・法隆寺の建物だけでなく、私の趣
     味の一つ「鉱物」にまで及んでいる。

      人気の高い「紫水晶(amethyst、アメシスト)」の英語名はギリシア語の amethustos(酔わせない)
     から派生した。古代ギリシャ人たちが酒を飲むときに、アメシストを持っていると酔わない、と信じられ
     ていたことによる。
      ブライトハウプトがエルバ島で見つけた2つの新鉱物はギリシャ神話の双子にあやかって「ポルックス
     石【POLLUCITE:(Cs,Na)AlSi2O6・nH2O】」と「カストール石【 Castorite :後にペタル石と判明】」と
     名づけられた。
      このように、鉱物の名前には、ギリシャ語、古代ギリシャ人の習俗、そしてギリシャ神話に起源を
     もつものが少なくない。

      「地球一周の旅」から帰って来て、「科学の歴史」に関する本を読んでいる。レナード・ムロディナウ
     著「人類と科学の400万年史」と1979年にノーベル物理学賞を受賞したスティーヴン・ワインバーグ著
     「科学の発見」だ。

      科学史に燦然と輝く名前を刻んでいるニュートンやアインシュタインなどでも、完璧な超人ではなく
     なかなか前に進めず苦悩し、ときには全く見当違いの道を進んで膨大な時間と努力を無駄にしたり、
     その時代の趨勢や経済的事情、社会や文化の流れに振り回されてきたことを知ると私のような凡人
     は救われる思いがする。

6. 参考文献

 1) 松原 聰、宮脇 律郎編、日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年
 2) 地球の歩き方編集室編:各国編2013〜15,ダイヤモンドビッグ社,2015年
 3) レナード・ムロディナウ著、水谷 淳訳:人類と科学の400万年史,河出書房新社,2016年
 4) スティーヴン・ワインバーグ著、赤根 洋子訳:科学の発見,文芸春秋,2016年


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