@ 「貨幣博物館」になっている、シュリーマン*旧宅訪問(* トロイ遺跡の発掘者)
A アテネ大学「鉱物博物館」訪問
このほか、B 郵便局巡り C 骨董店巡り D ミネラル・ウオッチング(鉱物観察) など折あらば、と
機会を伺っていたのは言うまでもないだろう。
朝9時に船の舷門を10人ぐらいのグループで出た。前の日、アテネの中心部まで行くのに乗った電車が
” 物騒(ぶっそう) ” だったので、この日はバスで行こうということになった。ピレウスの街中で、バス停を
探していると、黄色くて四角い郵便ポストが目に入った。この日出そうと持ち歩いていた封書を投函する
ところを旅友に撮ってもらった。
バスに乗るには、バス停の脇にある 「 キオスク 」 でチケットを買うように教えられた。たしか、1.4ユーロ
(約175円)だった。バス停には行先・バス到着までの時間などの運行情報が電光掲示され、私が住む
日本の地方都市よりもIT化が進んでいる。
10分ほど待つと、前日郵便局に入ったアテネの中心部・シンタグマ駅周辺までいくバスが来た。結構
混雑していて、座ることはできなかった。前の日にパルテノン神殿のあるアクロポリスの丘から見たアテネの
街は平坦そうだったが、バスで走ってみると小さな坂が多いことに気づかされた。
車内には観光客も多く、明るい雰囲気で強盗に遭うことはなさそうで、一安心した。30分ほどでなんと
なく見覚えのあるシンタグマ駅あたりに着いていた。
ここで、皆さんとお別れして、単独行動の開始だ。この日は、 S 「シンタグマ駅」 → @ 「シュリーマン
旧宅」 → A 「国会議事堂」 → B エヴァングリスモ駅 → C アテネ大学「鉱物博物館」 →
Dモナスティラキ駅周辺、 東西3キロ、南北1キロの狭い範囲を動き回ったことになる。
( 2016年5月13日 体験 )
私がシュリーマンを知ったのはドイツ語を学んでいたころで、20歳になる前だった。古書店でシュリーマン
の自伝・「古代への情熱」(岩波)を見かけて購入し、一気に読み終えた。中学・高校生のころから、
鉱物や石器・土器などの古代遺物に興味があった私にとって『人生の師』を見つけた思いだった。
シュリーマンは41歳のとき、「世界漫遊」で日本を訪れ、旅行記を残していたことを思い出し、石井
和子訳 『シュリーマン旅行記 清国・日本』を「地球一周の旅」に持参して読んでみた。シュリーマンが
日本を訪れたのは明治維新を3年後に控えた激動期の1865年(慶応元年)だった。
『シュリーマン旅行記 清国・日本』の付録に「シュリーマンの舘」の章があり、シュリーマンが住んだ屋
敷がアテネに残っていると知り、ここを訪れてみようという気になっていた。
【後日談】
場所を聞いてもわからなかったのは、私の英語がまずかったせいだった。地元では、『イリウ・メラトロン
( Iliou Melathron )』と呼ばれ、「トロイヤの館」という意味らしい。かってトロイヤ遺跡を発掘してい
たときに住んでいた小さな小屋を懐かしんで命名したらしい。
正式名称は「アテネ貨幣博物館」なので、” Numismatic Museum of Athens " が正しい英語名で、
貨幣やメダルを収集・展示しているだけでなく、研究する施設の意味合いを強調している。
建物は、建築家・エルンスト・ツィラーの設計によって1878年から1880年にかけて作られた。3階建ての
パラディオ(18世紀のイタリアの建築形式)で、完成当時、アテネで最も壮麗な私邸と言われた。
シュリーマンの死後、1927年に未亡人は、建物をギリシャ政府に売り、州議会として使用された後、
裁判所になった。
遺跡の発掘で発見されたコインや地金(インゴット)、寄贈されたコインコレクションなどを保存・展示
する施設として白羽の矢が立ち、1984年から修復工事を進め、1998年に貨幣博物館としてオープン
した。
この博物館で楽しみにしていたのは、
@ 各部屋のドアの上の壁面に描かれたギリシャ文字(シュリーマンの格言)
A 古代ギリシャからの現代までの60万点に及ぶ貨幣(コイン)コレクション
(1) シュリーマンの格言
各部屋のドアの上の壁面を見ると、ギリシャ文字で”格言”が書かれている。ソクラテスも自分の家
の部屋の入口に格言を掲げていたと伝えられているので、シュリーマンが尊敬するソクラテスの真似を
したと想像される。
2つある書斎のドアの上壁には、「自分自身を知れ」。その上の壁に「精神の浄化」。次のドアの
上には「何事も中庸が肝心である」、また「幾何学の素養がないものは入ってはならない」。「教養
がないということは深刻な問題である」、「勉学は非常に重要である」、そして「何事も適切な時に
行うべきである」、と続く。
寝室には「休養は次の仕事に大切。しかし、寝すぎないように」。子ども部屋には「よい子は良い
家庭で育つ」、と書かれているようだ。
これらがシュリーマンが残した格言だとは知っていたのだが、ギリシャ語を解さないMHには”チンプン
カンプン”だ。博物館職員のギリシャ人女性に格言の意味を尋ねると、「あれらは古代ギリシャ語で
書かれているので、私にも解りません」、との返事が返ってきた。何をか況(いわん)や。
(2) 貨幣(コイン)コレクション
博物館の収蔵資料には、紀元前14世紀から現代までの60万点が含まれていて、コインそのもの
だけでなく、メダルやコインの原材料の金属塊、コインの模様を圧印(コインニング)した金型ななども
ある。
コレクションの展示は、貨幣が製造された年代順に並べられている。大部分は、保管されていた
ものだが、遺跡の発掘で見つかった状態で展示しているものもある。
貨幣コレクションの見学順路のスタート位置には、シュリーマンを紹介するパネルが1枚あり、この
博物館がシュリーマンの旧宅であることや彼の業績の一端を知ることができる。
パネルの写真の一番上はシュリーマン自身、2段目は最初に結婚したロシア人の奥さんと長男、
そして一番下は再婚した30歳年下のギリシャ人の奥さんで、トロイア遺跡から発掘した黄金の装飾
品を身に着けている。
展示してあるコインは寄贈されたものやギリシャ国家などによって収集されたものが多いのだが、
シュリーマン自身が収集したコインもある。
西洋コインはその材質・デザインなどに興味があるだけなのでその観点から目についたものを紹介
する。
材質は、金・銀・銅のいずれかだが、圧倒的に多いのは銀貨だ。造られた数の上では銅貨が一番
多いのだが錆びやすく数千年経って良い状態で残っているものが少なかったりして展示されているのは
少ない。
見栄えがするのはやはり金貨だ。
コインのデザインには動物、植物、人物(神々)などが採用されていて、皇帝の事績を記念した
硬貨も発行されている。
人物(神々)は、一人だけのものと二人描かれているものがある。
(3) 貨幣の製造〜発見
貨幣を製造するには、原材料となる金属の鉱石を採掘し、精錬、それを大きな塊(インゴット)に
鋳造する。それを棒状に鋳造しなおして、円板状に切断し、それを叩いて延ばし、最後に表裏の
文様を圧印して完成する。
日本でも”大判小判がザックザック”の試があるように、財産として壺などに蓄えられていたコインが
遺跡の発掘などで発見され、その時の様子を何例か展示している。
(4) 宝飾品展示
遺跡から発掘された宝飾品が展示してある。水晶やメノウで造られたローマ時代の「スカラベ」*が
展示してあったので水晶県に住む私としては見逃せず、写真に収めた。
* 「スカラベ」とは、フンコロガシ(カブトムシの一種)の形に似せた形に宝石を加工したもの。
古代エジプトの護符
博物館で売っているのは、硬貨のレプリカ(複製品)や本だ。古代ギリシャから現代までのパンの値段を
まとめた本 ” Our Daily Bread " を売っていたので8ユーロ(約1,000円)で購入した。
当時のパンの値段だけでなく、金銀銅貨の交換レートなどがわかり興味深い。
われわれの定宿・長野県川上村の「湯沼鉱泉」には、江戸時代から現代まで「米一升の値段」を
まとめた額縁があったことを思い出した。
恒例の「秋のミネラル・ウオッチング」で宿泊するので、写真に撮ってくるつもりだ。
ガイドブックには、「エヴァングリモス駅で、250番のバスに乗る」とあるので、シンタグマ駅から地下鉄に
乗る手もあるのだが、距離も大したことはないし、天気も良いので「国会議事堂」の北側の通りを東に
歩いて行った。
ヨーロッパのほとんどの大都市の王宮や国会議事堂には衛兵がいて、観光名所になっている。アテネも
例にもれず国会議事堂には衛兵がいて、銃を肩にした3人の衛兵が周辺を巡回しているのに偶然出会
った。
ただ、衛兵の後ろを迷彩服の警察官(兵士?)が警護しているのには、苦笑させられた。
エヴァングリモス駅に着いて、バスに乗る要領は解っているのでキオスクでチケットを買う。250番のバス
を待っている観光客は私だけで、ローカル(地元)の人が多い。アテネ大学の学生と思しき若い人たち
もいるので一安心だ。
12時を少し回ったころ、250番のバスに乗り込み、15分も走ると市街地から住宅街の中を高台に
向かって登り始めた。山並みが迫ってくる。バス停から20分ほど走っただろうか、大学キャンパス風の
建物の前で停まると若い人たちが一斉に降りたので後に続く。
建物に入って1階を左に曲がると、それらしい入り口が見えてきた。ギリシャ語の表示しかないが、中に
陳列してある岩石などから「博物館」だろうと想像できる。
入口のドアを開けると女性が近づいてきた。博物館で働くMs.Tで、この後館内をくまなく案内してくれ
た。
博物館の展示スペースは、3つのホール合わせて1,100平米あり、それぞれのホールの大きさは、10 x 8m、
13 x 8m、そして 33 x 20mある。
最初に案内してくれたのは、訪れた人々(特に初心者)が ” ウワー !!” と驚くような美しくて
価値のある鉱物や化石標本が内部照明付きのガラスケース7つに納められたホールだった。これらの標
本はギリシャの鉱物・化石収集家協会から貸し出されたものだ。
一番手前の目立つところに置いてあるケースには、サントリーニ島で購入した標本の産地で、ギリシャ
を代表する鉱山でもあるラブリオン鉱山の標本がまとめて展示してある。
・ 北極圏をめぐる地球一周の旅 【サントリーニ島】
( Tour around the World & Arctic Circle 2016 - Santorini Island - )
もともとラブリオン鉱山は銀を採掘し、後に銅・亜鉛などに転換したこともあって、青や緑色の2次鉱物
が目を惹く。標本にはギリシャ語の他に英語で鉱物種・産地名・そして化学式を記載したラベルがつい
ているので解りやすい。写真は、「菱亜鉛鉱」の上の「アダム石」だ。
このホールには日本産の鉱物も展示してあった。2016年9月に日本鉱物科学会が『翡翠(ヒスイ)』を
「日本の石(国石)」に選定した、と石友・Yさんからメールがあった。しかし、ここに展示してあったのは
「水晶の日本式双晶」などと並んで候補の一つに上がっていた『市之川鉱山の輝安鉱』だった。
次のホールでは、昔私が通った中学校の理科室にあったと同じで、表面がガラス張りの重厚な木製の
ケースに標本がシステマテック(分類別)に並べられている。壁際には木製の戸棚が並び、大型の標本
を陳列している。
標本は世界中から集められ、中には19世紀から伝えられているものもある。
ひとつひとつ標本を見ていくと、私がサントリニート島で購入したのとまったく同じギリシャ・ラブリオン鉱山
産の「蛍石」があり、私が買ったものの産地が間違いなことに”ホッ”とする。
このホールにもただ一つ日本産の鉱物がある。それは、「煙水晶」だ。残念ながら産地名は不明だが
色、形などから、岐阜県中津川市辺りのものだろう。
最後に案内してもらったのは、博物館のHPでは「第2ホール」となっている場所だ。ここは主に自然教育
のための展示になっている。3つの造りつけの展示ケースに標本を並べ、説明パネルを通じて訪れた人が
鉱物・岩石・鉱石・そして工業用鉱物などのコンセプトが理解できる仕掛けになっている。
例えば、鉱物の性質の一つである『硬さ』の違いを理解指せるため、「モース硬度」順に代表的な
鉱物を並べる、などは洋の東西を問わず多くの博物館で取り入れている手法だ。
そして、いろいろな鉱物に紫外線を当てると美しい色に変身する『蛍光』の性質を目の当たりにすると、
理屈はわからなくても”ビックリ”して”感嘆”する。
【後日談】
地球一周旅行から帰って2ケ月ほど経った9月下旬に某私立校の中学生、10月初旬に小学生を
対象にミネラル・ウオッチング(鉱物観察)の課外授業を実施した。フィールドでの鉱物採集も楽しか
ったようだが、長野県川上村の湯沼鉱泉「水晶洞」を見学した時にみた『蛍光』が印象深かったと
感想文を送ってくれた子が何人かいた。
ギリシャ各地の岩石や鉱物を展示しているところに、「セリフォス島産の緑水晶」があった。説明文には、
緑色の原因は水晶の中に含まれる「灰鉄輝石」だとある。
Ms.Tさんの口から「これは、アンチョビ水晶とも呼ばれている」、と聞き、長野県の某産地で観察した
緑水晶も同じものだと地球を1/4周して初めて納得した。
この博物館では、ミュージアム・ショップらしきものはなくて鉱物標本などは売っていないが、鉱物
関連の本を売っているというので、2冊買い求めた。
@ O KOΣMOΣ TΩN OPYKTΩN
A TA OPYKTA TΩN METΛΛEIΩN TOY ΛAYPION ( MINERALS OF THE LAVRION MINES)
Aはタイトルから中身まで、ギリシャ語と英語が併記になっている親切な本で、タイトルは「ラブリオン
鉱山の鉱物」だ。
@は、鉱物名だけ英語が併記してある以外、ギリシャ語で書かれている。"O"は英語の”THE"だと
インターネットの翻訳で出てくる。”Σ(シグマ)”は”S”、”K”は”C"に置き換えると”COSOS"となり、「宇宙
(世界)」といった意味だろう。残りの単語はAに出てきているので、@は英語で、” THE COSMOS OF
MINERALS" 、つまり「鉱物の世界」という意味だ。中身を見る(読むではない)と、初学者のための
鉱物入門書のようだ。
ちなみに、値段は@が13ユーロ(約1,600円)、Aは15ユーロ(約1,900円)だった。
キャンパス内には、ファストフードの店があるというので訪れ、遅い昼食を摂った。ハムとトマトを挟ん
だサンドイッチにペットボトルのジュースで、4ユーロ(約500円)くらいで、本代に比べると何ともつつま
しい食事だった。
( 後になって、Ms.Tさんを誘えばよかった、と思う気が利かないMHだった )
5.2 アテネの街でバッタリ
バスに乗ってとりあえずアテネの中心部まで戻ることにした。困った(ラッキーな)ことに切符を買う
キオスクがない。バスを待つ学生たちも切符を持ってなさそうだ。バスが来たがワンマンバスの運転手
は切符など調べもしない。結局切符を見られることなくシンタグマ駅近くでバスを降りた。
通りを歩いていると上の方から、「MH!!」、と呼ぶ声がする。見上げると車窓からアテネを観光して
回る2階建てバスの上にいたのは旅友・明石のYさんだった。奥さんと博多のあねごも一緒だという。
前後の見境もなく、信号待ちしていたバスのドアを叩くとドアを開けてくれ乗り込んだ。料金を聞いて
高いな、と思いながらも16ユーロ (約2,000円)払いバスに乗り込む。客は3人しか乗っていなくて、
彼らは市内を観光して回っていたとのこと。
このバスは決められたコースを巡回していて、途中のバス停で乗り降り自由になっている。16ユーロは
1日乗り放題の料金だ。ただ、彼らは値切って15ユーロで乗ったという。
ものの5分も走るとこの日午前中に見学した『イリウ・メラトロン』の前の通りを走る。車内ではイヤホンを
使って18か国語で説明を聞ける。もちろん、日本語もOKだ。
しかし、車窓観光は”隔靴掻痒(かっかそうよう)”の感は否めず、16ユーロも払ったのは間違いだっ
たと悟った。そんな私の気配を察したのか、博多のあねごが「MHの好きな骨董店があった」と教えてく
れたので、その近くでバスを降りて皆さんと別れた。
教えられた通りのあたりには数軒の骨董などを売る店があり、コインを売っていたので2枚ほど買って
船に戻ることにした。
5.3 アテネ大学鉱物標本見学記念絵葉書
スリランカでの「宝石探し」の後もそうだったが、そのときの写真を絵葉書にして孫娘をはじめとする
家族や友人・知人に送るのが「地球一周の旅」のパターンになりつつある。
少し気に入らないのは、投函するのが次の寄港地(国)になるため、絵葉書の図柄と関係ない
切手が貼られ、消印されることだ。
とはいえ、アテネ大学で鉱物標本を見学した記念として、絵葉書を作成してみた。館に収蔵され
ている日本産鉱物「市之川鉱山の輝安鉱」、「日本産煙水晶」、「ラブリオン鉱山産アダム石」、
そして「セリフォス島産アンチョビ緑水晶」の4種を配した図柄だ。
【後日談】
2000年5月、ドイツに出張した時にミュンヘンの " Museum Reich der Kristalle " (鉱物博物館)」
を訪れた。「乙女鉱山産水晶の日本式双晶」と伊予市之川鉱山産「輝安鉱」の巨大な群晶を見て、
日本を代表する鉱物はこの2つだと確信していた。
2016年10月〜11月、奈良で開催される「正倉院展」に、重さ1キロ余りもある『アンチモン塊』が展示
されると知った。
ご存知かと思うが「アンチモン(Sb)」は、ロウソクの炎でも溶けるくらい融点が低く、最近まで鉛などと
合金にして印刷用活字などに使われていた。天平時代には、日本最古の貨幣『富本銭』に使われ、
これを鋳造した飛鳥池遺跡からはアンチモンの原料となった「輝安鉱【STIBNITE:Sb2S3】」が発見
されている。
正倉院の「アンチモン塊」が「市之川鉱山の輝安鉱」から造られた可能性も大きいようなので、ぜひ
実物を見たいものだと念じている。