”石”が趣味の私としては、エジプトのピラミッドをはじめとする石造建築物は、ぜひ一度はこの目で
見ておきたいが、最近の情勢では仮に行けたとしてもバスの中から”車窓観光”になることが多いようだ。
一方、趣味の”鉱物”という観点から見るとキプロスも魅力的な場所だ。銅(COPPER)はわれわれの
生活に身近で人類が最初に利用した金属鉱物だ。Concise Oxford Dictionary によれば、COPPER
の語源は、ラテン語の cuprum で、これはさらに cyprium aes (キプロス島の金属)に遡り、キプロスに
古くから銅採掘場があったことに由来する。銅の元素記号 Cu はラテン語の読みから取ったものだ。
つい先週終わったリオデジャネイロオリンピックで、日本が獲得した21個の「銅メダル」の素材は青銅
( 銅と亜鉛と錫の合金 )で、Copper Medal とは言わず、Bronze Medal (ブロンズメダル)と呼んでいる。
財布の中にある「10円銅貨」も、亜鉛(4%)と錫(1%)を含んでいるので正しくは「10円青銅貨」だ。
このような背景があって、『キプロスと言えば銅鉱山』が頭があり、上陸を楽しみにしていた。
( 2016年5月9日 訪問 )
地質学的にキプロスの銅鉱床は、火山活動に伴う枕状溶岩の中に胚胎しており、最近話題の海底か
ら鉱物資源を含んだ熱水が湧き出す”ブラック・スモーカー”現象で生まれたと考えられている。例えば、
アンベリコ・アレトリ( Ambelikou-Aletri )鉱床などの銅の富鉱帯はキプロス島の北西から南東に連な
るトロードス山脈( Troodos mountains )の北側斜面に分布している。
このように銅とそれを産出する銅山と深い結びつきのあるキプロスは、銅山や銅にちなむ切手を発行
している。これらの切手から、南北に分断された国・キプロスの歴史が垣間見られる。
左の切手は英国直轄植民地時代の1955年に発行され、1956年から反英運動が起こり、1960年
8月に独立した。それを記念して、ギリシャ語とトルコ語で「キプロス共和国」と加刷して右側の切手が
発行された。
2008年にEUに加盟し、通貨もユーロになった。これを記念して、ニッケル黄銅(銅と亜鉛とニッケルの
合金)と白銅(銅とニッケルの合金)からなる1ユーロ貨と鋼(はがね:鉄)に銅メッキした低額セント貨を
イメージした切手が発行されている。切手の目打ち(ミシン目)から下の耳紙の部分の色は、それぞれ、
ニッケル黄銅色と銅色になっている。
1、2、5セントの低額セント貨3種は、中身が鉄なので磁石に勢いよく吸い付く。
キプロス島のリマソール港に予定より1時間以上早い8時過ぎに入港した。船から見える遠くの景色は、
地中海沿岸特有の乾燥した大地にそびえる岩山だった。港に隣接する小さな礼拝堂のような建物が
ヨーロッパに近いことを思わせてくれる。(この建物は、トイレだろうという人もいた)
リマソールでオプショナル・ツアは7コース用意されていた。港から街の中心地「オールド・ポート」まで
でも3キロほどあり、オプショナル・ツアーに申し込むのが無難だと思った。古代遺跡や有名なキプロス
ワインの醸造所(ワイナリー)などを訪れるコースが多く、現在も稼働している銅鉱山を見られるコース
はなかった。
首都リマソールに行けば、郵便局はあるだろうし、うまくすれば銅鉱石などの標本を手に入れられる
かも知れないと思い、昼食付き「分断都市・首都ニコシアへ」に申し込んでおいた。
10時入港予定だったので、ツアバスの出発予定時刻は10時45分とユックリだ。8階デッ
キの指定席で一仕事終わらせてから出発だ。集合のアナウンスでラウンジに集合し、
全員揃ったところで舷門でIDカードをチェックし、入国ゲートを抜けてバスに乗り込む。
このツアー参加者はグリーンラインを越えてトルコが管理しているエリアに入るので、パス
ポートの携帯が必要だ。
(1) ニコシアへ
バスは発車してまもなく高速道路A1に入った。ニコシアまで100キロはあるのだが、
渋滞もなく順調に進む。車窓から見えるのは右側に地中海とそれを見下ろす高級
別荘や住宅、左側は乾燥した大地と切通しで、川というものを見ない。切通しには
真っ白い化石か鉱物のようなものも見られるがバスを止めてくれというのは無理という
もの。
社内では、現地ガイドの説明をComunication Cordinater と呼ぶ通訳が日本語
で説明してくれる。キプロスの歴史・風土などを説明してくれる。南北に分断されて
いるので形だけの「キプロス共和国」の国旗は、有名な銅の色で染めたキプロス島の
地図に平和のシンボル・オリーブの枝葉を配したもので、現実とのギャップが大きすぎ
る。
(2) 「ビザンチン博物館」
12時少し過ぎにニコシアの町に入る。城塞都市の性格を持っているのか、石を積
み上げた5m近い高い城壁が市街地を取り囲んでいるのと、2015年1月に南極探検で
アルゼンチンを訪れたときには花期を過ぎていた紫色のハラカンダ(英語名:ジャカ
ランダ)の花があちこちで満開だった。
最初に訪れたのは立派な鐘楼をもつセント・ジョン大聖堂の奥にある「ビザンチン
博物館」だった。
ここには、12世紀から20世紀のイコンや9世紀から18世紀のフレスコ画などが展示
してある。特筆すべきものとして、6世紀に作られたモザイクの断片7つもある。館内は
撮影禁止のため、もらったパンフレットの画像を紹介する。
博物館の一角にモザイク画に使われる色タイルの材料の色とりどりの原石と叩いて
割り出す台になる金床(かなとこ)、そして完成した色タイルが置いてあった。これらの
原石は色タイルとしてだけではなく、粉末にして”岩絵の具”としても使われたのだろ
う。
ミュージアムショップでは、1982年1月18日に博物館が開館したのを記念して作成
したカバー(封書)を売っていたので2通買い求めた。貼ってある切手は、前の年の
クリスマス用に発行された、アラカス聖母教会にあるキリストを描くフレスコ画からとった
ものだ。
キプロスの正教会大主教で初代大統領でもあったマカリオス3世(1913-1977)が
描かれているのは、この博物館がマカリオス財団によって建設・運営されているため
である。
(3) ランチはキプロス料理
日本にもある外食チェーン店などと並んで土産物屋などがあるニコシアの目抜き
通りにあるレストランで遅めのランチだ。案内されてテーブルに着いたのは14時を回っ
ていた。
ドリンクの一杯目は無料というので、キプロス産の赤ワインを頼む。以下、出てきた
料理を順番に列挙してみる。キプロス料理だが、次に上陸したギリシャ料理にも似
ているし、串焼きなどはトルコなどイスラム圏の影響も受けている印象だ。
・ チーズの塊が乗った野菜サラダ
・ ”ナン”のようなパン
・ クリームコロッケ
・ ”お多福豆”の煮豆
・ 焼肉
・ ポテトフライ
・ 焼肉の串刺し(ラム)
・ ハンバーグ風の焼肉
・ クリームとハーブをのせたケーキ
これから行く先々で感じたことだが、地中海沿岸の料理は”塩辛かった”。冗談で
「地中海には塩がたくさんあるから、無理もいない」というと、結構受けた。
それと、”ボリュームが多い”。この時も、だいぶ食べ残してしまった。ツアーなどで
出されたものは仕方ないが、自由行動の時は、2人で一人前を注文するなどで、
廃棄食品を減らす工夫をするようになった。
最後のデザートが出てきたが、お腹が一杯で手を付ける気にもならず、一足先に
レストランを後にして、集合時間まで土産物屋を物色して回った。
(4) 『グリーンライン』を越えて
ニコシア近くになると高速道路の車窓からトルコが支配する北キプロス側の山腹に
「北キプロス・トルコ共和国」の巨大な国旗が表示され、分断の溝の深さは簡単に
修復できそうもないと感じさせられた。
南北朝鮮の38度線のように、分断帯には戦車が並び、武装した兵士がにらみ合
っているものと想像していたが、実際には女性を交えた丸腰の警察官がパスポートの
チェックをしているだけで、拍子抜けするほどだった。
日本の街中とあまり変わらないギリシャ系住民の居住区からトルコ系住民の居住
する地区に行くと、なんとなく時間がゆったりと流れているように感じられ、”ホッ”とした
のは私だけではなさそうだ。
南側のギリシャ系住民の年収が約15,000米ドルに対して、北側のトルコ系住民は
約5,000米ドルと経済的な格差は歴然としているのだが、住んでいる人々は明るく、
国とは、本当の幸せとは、何だろうかと考えさせられる旅でもあった。
再び、グリーンラインでパスポートを提示し、ギリシャ側に戻った。どちらかに肩入れする
わけではないが、親日家が多いトルコに親しみを感じるのは自然の成り行きだろう。
この時すでに17時を回っていたせいか、郵便局は閉まっていて、切手を買うことはでき
なかった。日本で買って持参したキプロス切手を貼って妻あてに絵葉書を4通ポストに
投函したところ、全て自宅に届いていた。
ところが、消印がないのだ。これだと、現地で投函したことが証明できず、中途半端な
記念絵葉書になってしまった。この後、スペインで投函したものも同じように消印がなか
った。
そこで、土産物店を探すと、銅を鋳造した動物や教会関係のグッズが目に入った。
値段を見るとちょっとしたものでも20ユーロ(当時のレートで2,500円)くらいはする。
これらの品がキプロスの銅で作られたという保証はないのだが、自分を納得させて銅
で造った山羊の置物を購入した。