15日朝7時過ぎにデッキに出るとシシリー島の島影が見えてきた。上陸の日は、朝6時からの太極拳がお休
みになるので、ノンビリと起き出してきた次第だ。ひときわ高いピークがヨーロッパ最大の活火山・エトナ山だ。
シシリー島ではエトナ山に登りたかったのだが、9時に入港して16時に出港、滞在時間がわずか7時間では
時間的に無理な話だ。次善の策として、シシリー島シラクーサ生まれの数学者であり科学者・アルキメデスの
足跡を訪ねようと、「シラクーサ観光」のオプショナル・ツアに申し込んでおいた。
( 2016年5月15日 体験 )
シシリー島は、イタリア本土のカラブリア半島とはメッシーナ海峡(最狭部の幅は約3km)によって隔てられてい
る。もっと本土から離れていると思っていたのだが意外だった。島の面積は、25,000平方キロで、日本でいえば
九州の約2/3、四国の約1.5倍の広さだ。
島全体が一つの自治州になっていて、州都は北海岸にあるパレルモで、われわれが上陸したカターニアは
シシリー島第2の都市だ。
シシリー島といわれても、映画「ゴッド・ファーザー」に登場した田舎の村の光景くらいしか思い浮かべることが
できなかった。
9時半に船の前方に集合して、舷門をでてバスに乗ったのは10時半ごろだった。カターニアの港から約60キロ
ほど南にあるシラクーサの街を目指す。カターニア港から高速道路への取り付け道路を走るころには、朝もや
が晴れ、ハッキリ見えるようになったエトナ山は、噴煙なのか雲なのかこそ識別できないが頂上付近は雪が
残っていて、標高3,200mの高い山だとわかる。高速道路を100キロ前後のスピードで走る。海岸近くは平坦
な地形だが内陸部にには丘陵地帯があり、トンネルも掘ってある。
@ ネアポリス考古学公園観光
・ 天国の石切り場
・ 古代ギリシャ劇場
・ ディオニソスの耳
A オルティージャ島旧市街観光
B アポロ神殿
(1) ネアポリス考古学公園観光
シラクーサ市街の北に緑の多い東西700m、南北500mくらいのエリアがある。ここが、ネアポリス考古学公園
エリアだ。
添乗員が渡してくれた入場券を見ると、「ギリシャ劇場」が描かれ、料金は10ユーロ(約1,250円)だ。
入口を入ると、温暖な地中海気候帯の豊かな緑の樹木の向こうに真っ白い断崖がみえてくる。ここが、
「天国の石切り場」と呼ばれる場所だ。ということは、われわれが歩いているところは石材を切り出して凹んだ
場所ということになる。
紀元前5世紀ごろシラクーサがギリシャの領土だった時代、都市国家(ポリス)建設に使われる建築用材と
して白い「大理石(石灰岩)」がここから切り出された。
石切り場の南西側から一度出ると「ギリシャ劇場」が見えてくる。その観客席の最前列を左翼側に回り込み
最上段に上がると劇場の全景が見えてくる。石切り場が稼行していた紀元前5世紀に石材を採掘した跡に
建設されたもので、直径約140メートル、15,000人もの観客を収容でき、ヨーロッパ随一の大きさを誇っていた。
現在でも、毎年5月から6月にかけて古代ギリシャ悲劇が上演され、その準備のため舞台準備が暑さの中で
進められていた。
最上段の洞窟の中には、石灰岩のスキマから流れ出す泉があり、歩き疲れた人々のオアシスになっている。
観客席の最上段を右翼側に回り、もう一度石切り場に向かうとそこには「ディオニソスの耳」と呼ばれる巨大
な洞窟がある。言われてみればその入り口は西洋のおとぎ話に出てくる魔物や動物の外耳に見えなくもない。
緩やかに左に螺旋したその形は、人間の内耳(ないじ)の「蝸牛(かたつむり)管」を連想させる。
紀元前5世紀から4世紀ごろ、この洞窟は牢獄として使われ、収容された囚人は石切り場で働かされていた。
当時シラクーサを支配していたギリシャ人のディオニソス1世(紀元前432年ころ - 紀元前367年)は、残虐で
猜疑心が強く、しかも執念深い、最悪の暴君のひとりと見なされていた。そんなことから、この洞窟にまつわる
次のような伝説が生まれた。
洞穴はラッパ型のちょうど集音マイクのような形になっていて、洞穴の天井には、よく見ると小さな穴が開い
ていて、洞穴内で囚人たちが話をするとそれが天井の穴を通じてよく聞こえたそうだ。ディオニソス王は、囚人
たちの話を盗み聞きをしていたという。後世、この伝説を聞いたカラヴッジョという画家が「ディオニソスの耳」と
命名した。
( 入り口にいては、内部の音、ましてヒソヒソ話し声など全く聞こえなかった。 )
【後日談】
太宰 治の青少年向け短編に「走れメロス」がある。これには、シラクーサの王宮を舞台に僭主(せんしゅ:
貴族制に対する民衆の不満を利用して政権を独占した者、タイラント)・ディオニソス2世が登場する。
純朴な羊飼いの青年メロスは、妹の結婚を祝う品々を買い求めにシラクーサの街に出てきたが人々の表情
は暗く沈んでいた。この街で何が起きているのかを尋ねると、「人を信じないディオニソス王が罪もない多くの人
を処刑している」、と聞き、王を暗殺しようと王宮に侵入するが、捕らえられてしまう。引き出されたメロスに
「人間は欲の塊で信用できない」とする王に、「人を疑うのは恥ずべきことだ」反論する。
当然処刑される事になるが、メロスはシラクーサで石工をしている親友のセリヌンティウスを人質として王のも
とにとどめおくのを条件に、妹の結婚式をとり行なうため3日後の日没までの猶予を願う。王はメロスが死ぬため
に再び戻って来るはずはないと考え、セリヌンティウスを処刑して人を信じる事が無駄なことを民衆に知らしめ
ようと、この申し出を許した。
メロスは急いで村に帰り、誰にも事情を説明せず、妹の結婚式を無事執り行い、3日目の早朝王宮に向け
て走り出した。難なく約束の夕刻までに到着するはずが、”ハプニング”が続出し、それを乗り越えるため無理を
重ね心身ともに疲れ果て、一度は王のもとに戻る事をあきらめかけた。しかし、メロスは精根尽き果てる寸前
まで走り続け、日没直前、今まさにセリヌンティウスが処刑されようとするところに到着し、約束を果たす。
互いに信じあう2人の真の友情を見て、ディオニソス王は改心した。
(2) アポロ神殿
駐車場に戻り、バスでオルティージャ島に向かう。島への車の乗り入れが制限されているのか、手前でバスを
降り、500mほど歩いて橋を渡り島に入る。橋を渡ると潮風とともに明るい地中海の港の風景が目に飛び込ん
できた。
島に入るとすぐ左手にアポロ神殿の跡がある。紀元前7世紀末に造られたシシリー島最古のドーリス式神殿
の遺構だ。神殿はその後ビザンチン教会、ノルマン人の聖堂などに改築され、現在もその痕跡が残っている。
(3) イタリアンでランチ
メインストリートから外れて路地裏のようなところに入り、この日の昼食を摂るレストランに案内された。とう
にお昼の時間を過ぎ、14時近かった。
ワン・ドリンク無料というので、ビールを注文する。なかにはワインを注文した人もいた。2、3品ビールのつまみ
のような料理が運ばれてきたかと思うと、メインのパスタ(スパゲッティ)が運ばれてきた。トマト味のいわゆるナポ
リタンというものだ。本場で食べるイタリアンに期待していたのだが、一口食べてみて、『空腹は最高のスパイス』
なる諺がある空腹だったにも拘わらずその間の抜けた味にガッカリしてしまった。これだったら、私が作るイタリア
ンの方が数段おいしい。
ソースに私が使う”ニンニク”が入っていない上に、”サラッ”としていてパンチが利いていないのだ。やはり、イタ
リアンは日本で食べるのが一番美味しいようだ。
まずまず食べられたのは、デザートにでてきたシュークリームのようなお菓子だけだった。
(4) オルティージャ島旧市街観光
表通りに戻り、さらに狭い路地を抜けて旧市街に足を踏み入れた。大理石(石灰岩)造りの重厚な建物が
並び、歴史を感じさせる。
一方、横町に入るとそこには観光客もあまり入ってこないので地元のひとびとの生活の空気を感じることが
できる。
海の方から見た旧市街の一角は、屋根や壁面がカラフルに彩られで、イタリアが文芸の中心地だったルネッ
サンスの時代に造られたか化粧直ししたものだろう。
4.1 アルキメデスとは
アルキメデス(紀元前287年−212年)は、シラクーサで生まれた。天文学者の父親から初等教育を受け、
当時学問の中心地だったアレキサンドリアに留学し、学者との交流の中で自分の能力に強い自信を得て、
生まれ故郷のシラクーサに帰り、そこで一生を終えることになる。
アルキメデスのエピソードで多くの人が知っているのは、「金の王冠」の話ではないだろうか。シラクーサの
ヒエロン王は、ある金細工師に必要な量の黄金を渡して王冠の製作を依頼した。出来上がった王冠は
立派なものだったが、「渡した黄金の一部を抜き取り、同じ重量の銀が混ぜられている」、との噂が伝わっ
てきた。王はアルキメデスに噂の真偽を確かめるように依頼した。
この問題の解決法を思案していたアルキメデスは、公衆浴場で浴槽に身体を沈めた自分の体が浮かぶ
(=浮力を受ける)ことから、「解った!!」と叫んで裸で走って家に帰った。
小学生だったか中学生だったかのころ読んだこのエピソードの”落ち”は、「裸で、歩きメデス」だったと記憶
している。
王が細工師に渡した黄金の重さを1kgとする。細工師が500g分の黄金(比重約20)を銀(比重約10)で
置き換えて王冠を作ったとする。空気中での王冠の重さは1kgで、重さ1kgの黄金と同じ重さだから、
両者を天秤ばかりで計っても釣り合って混ぜ物があるかないかはわからない。
両者を水の中に入れて比べると銀を混ぜた王冠は比重が小さい(体積が大きい)ので、より大きな浮力
を受けて釣り合わなくなり、混ぜ物があるのがバレてしまった。
私の趣味の一つ「鉱物」の採集や鑑定にもこのアルキメデスの王冠の鑑定の考え方が使われている。
それは、鉱物の「比重(密度)」の違いを使ってパンニングで砂金や希元素鉱物を採集したり、鑑定する
ことだ。
もう一つ加えるならば、露頭を叩いてガマ(晶洞)を開けるときに使う工具に「バール」がある。鉄の棒を
意味するバー(Bar)が日本語では「バール」と呼ばれるようになっている。バールを岩の割れ目に差し込んで
反対の端に力を加えると『梃(てこ)の原理』で作用点に何倍かの力が加わり、比較的簡単に岩を割った
り、動かしたりすることができる。
バールを使うときには、アルキメデスの『われに支点を与えよ、さすれば地球をも持ち上げん』、という声が
聞こえてくる。
それと徳川時代の金銀銅山では「佐渡の水替え人足」でもわかるように、湧き水を坑道の外に排水す
ることが新しい鉱脈を発見することと並んで最大の課題だった。
アルキメデスは現在「スクリューポンプ」と呼ばれる”螺旋(ねじ)”の原理を応用した『アルキメデスの螺旋』
というポンプを発明していた。最近ではあまり目にしないが、理髪店の店頭にある”グルグル”無限に回り、
上の方に昇っていくような錯覚に襲われる例のものだ。
寛永14年(1637年)、大阪から水学宗甫という盲人(視覚障がい者)が佐渡の金山に来て、「竜樋
(りゅうひ)」というものを伝えた。その20年前、元和4年(1618年)のころ、割間歩という坑道を豊部蔵人が
指揮していたが出水が多くて採掘に行き詰まり、味方但馬の指揮下に移された。但馬の配下(部下)が
「すっぽん樋(とい)」というものを持ち込み、坑道の排水作業が多少は便利になってはいた。
そこで、南沢妙輪寺下の滝で両者の性能比較試験を行ったところ、「竜樋」の方が優れていることがわ
かった。
このころから幕末まで、佐渡金山の排水作業は、主として「つるべ汲み」と「竜樋」が併用された。「竜樋」
こそは、『アルキメデスの螺旋』だった。
4.2 アルキメデスにちなむ史跡
アルキメデスにちなむ史跡があったとしても、ツアーでは勝手に訪れることができない不自由さがある。
シシリー島には、@ アルキメデス広場 A アルキメデスの墓 があると知った。
@ アルキメデス広場
オルティージャ島の地図を見ると、島の中央に「アルキメデス広場」がある。ランチを食べたレストランから
300mも離れていないから、ちょっと抜け出して行けないことはなかったのだが、単に名前を冠しただけの広場
だというので訪れなかった。
ガイドから、「この通りの突き当りだ」、と聞き、通りの写真だけは撮っておいた。
A アルキメデスの墓
ローマ軍の兵士によって殺されたアルキメデスが葬られた墓がある。ネアポリス考古学公園付近の地図の
「ディオニソスの耳」の北西500mくらいのところに「アルキメデスの墓」とある。アルキメデスの死後100年あまり
後の紀元前75年、ローマの雄弁家・キケロがシシリーに勤めていた頃、アルキメデスの墓について聞いが、
その場所は伝わっていなかった。探し出してみると、彫刻がはっきり分かるようになり、詩を含む碑文もあった、
というくらいだった。
ネットで調べると、「どこが墓なのか現地の人に聞いてもわからなかった」、というありさまなので仮に行ったと
しても行き着けなかったかも知れない。
アルキメデスの墓には、下の図のような図形が刻まれていた、とか、キケロの記述のように墓がそのような形
をしていた、という情報がある。「円柱に内接する球」というのか、「球に外接する円柱」というのか。「『円柱
と球の体積比と表面積比は、きれいな整数比になる』、諸君証明できるかね」と後世の数学者たちに問い
かけているかのようだ。
図を正確に書き換えた上で、円柱に内接する円錐を加え、それぞれの体積比を求める問題を解いて
みよう。
円柱と球の半径を r とすると、円柱と円錐の高さは 2r となる。円柱、球、円錐の体積とその比は下の
表のように計算でき、円柱:球:円錐=3:2:1 ときれいな整数比になるのだ。
立体 | 体 積 | 体積比 | 円柱 | 底面積×高さ =Πr2×2r =2Πr3 | 3 | 球 | 4Πr3÷3 | 2 | 円錐 | 底面積×高さ÷3 =Πr2×2r÷3 =2Πr2÷3 | 1 |
シラクーサ観光を終えて港に戻ってきたのは予定の時間を大幅に過ぎて16時を回っていた。行くときには
閉まっていた土産物屋がいくつか開いていた。ワインやファッションそしていわゆる土産物の中に、「鉱物標
本」を売っていた。” Minerali Vulcanici (火山の鉱物) ” というタイトルがついて、鉱物・溶岩・砂など
がセットになった組標本だ。12種類と16種種類のものがあったので" 大は小を兼ねる ”、とばかりに、16種
のを買った。確か15ユーロ(2,000円弱)だった。他にも、「黄鉄鉱」など鉱物標本の単品もいくつか並んで
いたので、「重晶石」の小さいのを3ユーロ(400円)くらいで買った。
組標本の説明書きや鉱物名はイタリア語なのだが、なんとなく英語名と似ているので鉱物種はだいたい
わかる。もっとも、イタリアの人には、「こちら(ラテン語)が元祖だ」といわれそうだ。
5.2 郵趣 in Sicily
街中で郵便局やポストを見かけたら押印・投函しようと思い、この2日前ギリシャでアテネ大学を訪れた
ときに撮った「市ノ川鉱山の輝安鉱」の写真を絵葉書にしたものに、日本で買って持って行った切手を
貼って持ち歩いていた。
団体旅行の不便なところで、オルティージャ島の地図を見ると島に渡る橋の手前北側に郵便局がある
のだが列を離れて行くことが許されない。街中で、ポストをさがしてもそれすら探し出せない。
結局、港に帰り着くまで持ち歩いていた。添乗員が「現地ガイドに頼めば投函してくれますよ」、というの
で彼に託した。
帰国してみると、アルキメデスにちなむ円周率π(パイ)の切手を貼った絵葉書が無事届いていた。実逓
便(実際に郵便物として送られたはがき・封書)であることを示すかのように、絵はがき部分の一部が
”コスレ”ていり、しわが寄ったりしている。
円周率Π(パイ)を描く切手にカターニア中央局消印
船は予定より2時間近く遅い18時ごろカターニアを出港した。シシリー島の南端を回り次の目的地スペイン
のモトリル港に着くのは3日後だ。
デッキに出ると、夕日を浴びたエトナ山が遠くに見える。時計は20時半を指しているのに日本の午後3時か
4時ごろの雰囲気で、『宵っ張りで朝寝坊』の国民性を表わしているようだ。
5.3 東奔西走
「地球一周の旅」から戻って4ケ月になるが、旅の日数にして、33/107日(30%)、訪問国では、6/23か国
(26%)がまとめ終わったところだ。このペースだと、まとめ終わるのは2017年の夏ごろになりそうだ。
自分の”自堕落(じだらく)”な性格の為す所以だが、”それだけ長く旅の余韻を楽しめる”と脳天気に構え
るMHだ。
言い訳がましいが、恒例の秋のミネラル・ウオッチングが終わった翌日に「正倉院展」に展示された『アンチ
モン塊』を観たい一心で奈良まで走り、帰路中津川市鉱物博物館で開催中の「美濃焼・瀬戸物花崗岩」
展を観てきた。
帰るとすぐ、ミネラル・ウオッチングのフォローアップで△△△を訪れ、その帰途に「新産地で□□□□□ が
出た」、という情報を嗅ぎ付け、2回も足を運んだ。
先週末は、千葉の孫娘が7歳になったのと七五三を祝うため3泊4日で夫婦で出かけていた。この間にも
”銀杏拾いと砂金採り”を入れてあった。
先週は、冬に備えて里芋の収穫や冬野菜への施肥・土寄せをの畑仕事と恒例の「干し柿づくり」を
終えた。2015年冬はなかなか寒くならず第一陣で作った100個近い干し柿にカビが生えて、アルコールで
消毒したが結局廃棄せざるを得なかった。そんなわけで、2016年は寒くなるのをギリギリまでまって干し柿を
作った。冬備えができたのを見計らって、ノンビリする間もなく松本まで野暮用で走った。
昨日から全国的に寒波が押し寄せ、甲府盆地は早朝から雪になった。なんでも11月に初雪が降るのは
昭和37年以来54年ぶりらしい。地球は暖かくなっているのか、それとも寒くなっているのか?
当然、この日予定していた □ □ □ □ □ 行きは急きょ延期(中止ではない)になった。