火山の島であれば溶岩はあるはずで、うまくすれば宝石鉱物の「橄欖石(オリビン)」が見られるかも
しれないし、火山活動の噴気孔では現在も「硫黄」などの鉱物ができつつあるかも知れない。火山と
くれば温泉があるはずで、海中温泉があるという。
朝6時少し前、景観だけでなく、ミネラル・ウオッチングそして温泉入浴が体験できるサントリーニ島の
シルエットが朝焼けの中に見えてきた。
( 2016年5月11日 訪問 )
地質学的にサントリーニ島、テレジア島そしてアスポロニシ島はかつては一つの大きな島の一部だった
ことが証明されている。島に近づいてみると、断崖には色や種類の違う岩石からなる数多くの縞模様が
観察でき、繰り返し起こった火山活動で島が形成されたことが見て取れる。
カルデラは4層の楯状火山で構成され、放射性炭素14を使った年代測定では、最古のものは18万
年前(BP:Before Present)、次いで7万年前、約21,000年前、そして最新のものは紀元前1,630年頃
の「ミノア噴火」によって形成されたのが現在のカルデラだ。地下のマグマが噴き出してできた空洞を埋め
る形で陸地が陥没してカルデラを形成し、ここに現在のアスプロニシス島とサントリーニ島南端・ファロス
の間にあった狭い開口部から海水が流入し、カルデラ内部は海中に沈んだ。
ネア・カメニ島のショートハイキングの時にもらったパンフレットに諸島の断面図が掲載してあり、これを
見れば諸島の成り立ちがよく理解できる。
この噴火の時、この島には後期青銅器時代のクレタ島のミノア文明と同じ文明を持った人々が居住
していて、その遺跡が発見されている。
そんなことから、ギリシャの地震学者アンデロス・ガラノパウロスのように、「サントリーニ島こそ幻の大陸・
アトランティスだ」と説く人もいる。
カルデラの大きさは、南北12km、東西7km。周囲には、外輪山に相当する高さ200mから300mの崖が
あり、噴火からまだ4,000年弱しか経っていないため崖は切り立っていて急峻だ。
ちなみに日本の代表的な阿蘇山カルデラは南北25km、東西18kmの大きさで、カルデラ内に水が溜ま
って湖を形成していた時期が過去に何回かある。
カルデラ内には現在、ネア・カメニ島 (面積3.4 km2 )とパレア・カメニ島( 0.5 km2 )の2つの島がある。
この2島ができたのは歴史時代になってからなので、火山活動による島形成の地史が記録されており、
これもパンフレットから引用する。
@ ネア・カメニ島でショートハイキング
ネア・カメニ島は上の図からもわかるように、直近の大規模な溶岩噴出は1939年〜41年にあった
ばかりで、現在も火山活動が活発らしい。
この旅行に出発する前にインターネットで調べると、現在も噴気活動が見られる、とある。噴気
孔では現在も「硫黄」などの鉱物ができつつあるかも知れないし、溶岩がればそれに伴う宝石鉱
物の「橄欖石(オリビン)」を観察できるかも知れない。
島の中央部まで行くので、これらの機会は少なくないはずだ。
A パレル・カメニ島で「海中温泉」体験
4月12日に乗船してこの日でちょうど1ケ月になるが、ここまで入浴はシャワーだけで、浴槽に浸か
っていない。海中温泉」に浸かって久しぶりに手足を伸ばせるのはありがたい。また、温泉由来の
鉱物を観察できるかもしれない。
なによりも、2015年の「南極探検」で、氷が浮かぶ南極海で「寒中水泳」を体験して以来の
”冒険”だ。
B 午前中で終了
このツアーは午前中で終了する。船に戻るための最後の通船(テンダーボート)がオールド・ポート
を出るのは17:30だから、サントリーニ島に戻ってから5時間前後は食事・観光・ショッピングを楽し
めそうだ。
3.1 ネア・カメニ島でミネラル・ウオッチング
さあ、ネア・カメニ島でショートハイキングに出発だ。サントリーニ島の町は断崖の上にあり、切り立っ
た崖の下には、大型船が停泊できる港はない。しかも、この日はわれわれの乗っている船と同じかそれ
以上の大型船が5隻くらいひしめいていたのだ。そこで、船と島の間は通船(テンダーボート)で運んで
もらうことになる。このようなスタイルの港は、入出港した25港の中でここだけだった。
テンダーボートで運ばれるのはオールドポートかアティニアスポートになるかはその時にならないと判らな
いと事前に配られた資料にあった。テンダーボートに乗り移ると、時速50キロくらいのスピードで、何艘か
が競争するかのように上陸する港を目指す。われわれの上陸するのは、フィラの町から遠いアティニアス
ポートだった。
( どうやら、停泊料などを値切ったりすると、町から遠い場所に案内されるらしい )
アティニアスポートには、火山島クルーズのボートが待っていた。これに乗り移ってまもなく出港した。
上陸地点は、ネア・カメニ島の北端にあるエリニア入り江(Erinia cove)なので、われわれの船が停泊
しているあたりまで戻って、そこを左に回るようにして、入り江に接岸、上陸した。
上陸地には係員がいて、われわれツアー客は既に払っていたが、「入島料」 2.5ユーロ(約300円)を
徴収する。(「地球の歩き方」には、2ユーロとあったが、値上がりしたようだ )
海岸まで迫っている溶岩は玄武岩質なので、「オリビン」を含んでいる可能性が大きい、と直感する。
真っ赤な花は、「夾竹桃(きょうちくとう)」だろう。(白花夾竹桃もある)
ハイキングコースは、下の図に示す黄色い線に沿って、エリニア入り江に上陸してこの島最古の溶岩
(SITE A)、双子のクレータ(SITE B)そして島の最高地点(SITE D)まで登り、同じルートを戻る、
およそ1時間半のコースだった。
一番行ってみたい噴気孔(SITE C)は団体では行かないので、帰りに添乗員に断って一人だけ別
行動で立ち寄ることにした。
行きはほとんどが登りで、女性が多く、高齢者も混じっているので現地ガイドがユックリしたペースで
案内してくれ、所々で休憩タイムも取ってくれた。路傍の石で”オヤ?”と思うものがあれば、ルーペで
観察する。そうすると団体から遅れるので、小走りに後を追いかける。これの繰り返しだった。
やがて、島の最高地点(標高127m!!)が見えてきた。このあたりには、巨大な溶岩が”ゴロゴロ”
している。上陸地の案内板によれば、この島には溶岩の他に、小石から米粒くらいの「火山礫(Stone)」
「火山弾(Bomb)」そして軽石「パミス(Pumice)」と呼ぶ多孔質で見かけ比重が小さい岩石がある。
溶岩を手にもってルーペデ表面を観察すると、「あった!! オリビンだ!!」。
最高地点からは、島の周囲360度の展望が楽しめた。東の方には午後訪れるサントリーニ島の観光
地イアの街からフィラの街、南西にはこの後訪れるパレア・カメニ島と海中温泉を楽しむ入り江もハッキリ
見える。
この絶景は、苦労して(??)この島の最高地点まで登ったものだけに与えられるご褒美だ。
帰りに噴気孔に立ち寄らせてもらう。噴気孔に近づくと白い水蒸気と火山ガスが噴出しているのが
見える。風向きによって、火山特有の硫化水素や硫黄ガスだろうか、”卵が腐ったような”臭いが鼻を
つく。さらに、地面の温度も高いのか、”ムッ”とする。
噴気孔を見ると火山ガスから析出(固体→気体だけかと思ったら、気体→固体も”昇華”というらしい
のだが)した黄色や白い鉱物が観察できる。黄色いのは「硫黄」で、白いのは「重晶石」などの硫酸
塩鉱物らしい。
再び上陸した入り江に戻ると何隻かのクルーズ・ボートが狭い港にひしめいている。遠くには大型の
クルーズ船が2隻見える。
3.2 パレル・カメニ島で「海中温泉」体験
次は、パレル・カメニ島で「海中温泉」体験だ。ネア・カメニ島の中央から見て8時の方角にパレル・
カメニ島がある。島と島の距離は500mくらいのもので、泳いでも渡れそうだ。
海中温泉は、下の地図の ● 印で、島の北東の港がある入り江の奥だ。反対側のネア・カメニ島
にも海中温泉の印 ● が付いていて、この辺りには温泉が湧き出しているようだ。
( インターネットには、ネア・カメニ島での海中温泉体験談も載っているが ?? )
「海中温泉」体験できるように、船を出るときに次のような準備をしてきた。
@ 水着着用
インターネットの情報では、ボートが停泊するところから海中温泉までは数十メートルの距離が
あり、泳がなければつけないとある。したがって水着着用は必須だ。
ボートには更衣室がないので、水着を着け、その上にズボンを穿いて船をでてきた。入浴する
つもりの女性もそうだった。
A タオル・下着持参
ボートにはシャワーもないので、温泉からでたら、タオルで身体を拭いて、水着を脱いで下着に
着替える積りだった。船では、「船備え付けのタオルを持ち出さないように」と注意があった。私用
のタオルと下着をビニール袋に入れて持参した。
入浴が終わって島からオールドポートに行く間に船の上で着替えたが、前は隠せたが後ろは
隠せず、船の外から見たら、”頭隠して尻隠さず”状態だったろう。
( 女性も、船の上で器用に着替えていた )
B カメラをビニール袋に入れて持参
今回の旅では、ほとんど出番がなかったペンタックスのデジカメだが、このときだけは大活躍だった。
一応、防水(Water Proof)仕様にはなっているが、チャック付きのビニール袋に入れて手に持って
泳ぐつもりだった。
ボートがパレア・カメニ島の北側にある入り江に着く。水着の上に、安全のためライフジャケット(救命
胴着)を全員着用する。船べりのはしごを降りて海に入る。海水温は暖かいというよりは少し冷たくて、
「海中温泉」とは程遠い。
カメラを入れたビニール袋を手にもって泳ぐのにはバック(背泳ぎ)が一番だろうと、片手で掻きながら
足をキックして入り江の奥に向かって進む。片手なのでまっすぐ進むのが難しい。カメラを持つ手を交替
しながら、進路を調整する。
船から離れた辺りは、背が立たない(足が底につかない)。水深は判らないが、2mでも1,000mでも
同じ事だ。
私が泳いでいる(?)姿を旅友が写真に撮ってくれていた。同じ辺りで、外国人女性が立ち泳ぎを
している姿を、船に戻ってから撮った。
70mも進むと、入り江の幅が狭くなってきた。水の色も黄土色になり、水温も”温(ぬる)く”なってき
た。感覚的に30度から35度くらいだろうか。停まって足を下に伸ばすとゴツゴツした岩角に触り、この辺
りは背が立つ。
ここから船の方を写すと、先ほど登ってきたネア・カメニ島の向こうに白い建物があるサントリーニ島が
見える。背泳ぎの姿勢から起き上がろうとしたが、ライフジャケットの浮力が身体を勝手に動かすため
なかなか起き上がれず、ようやく立って歩き出したが、底がゴツゴツしているのと”水ゴケ(鉄バクテリア?)”
で ”ヌルヌル” 滑べる上に気持ち悪くて歩きにくい。
海辺の岩を観察すると、鉄さび色皮膜状の「褐鉄鉱(ゲーテ鉱)」らしきものに混じって真っ白い結
晶が見られる。岩塩【HALITE:NaCl】の結晶だ。潮位が高い大潮のときに岩の窪みに溜まった海水が
雨が少ない地中海沿岸の気候で水分が蒸発し、結晶したものだ。試しに舐(な)めてみると”塩辛く”
間違いない。
この辺りは地下から温水とガスが湧き出しているようで、海面を見ると小さな気泡が見られる。その
せいか海水温も”ぬるま湯”くらいだから、36度前後ありそうだ。しかし、”いい湯だな〜”という心境には
なれなかった。(水深が浅く、海水の動きも少ないので太陽光で温まった、とも考えられる・・・・・)
入り江の奥一番奥には、「温泉施設」があったようだが、現在は廃墟になっていて、人影は見られ
なかった。
お昼近くになり、島を離れる時間だ。パレア・カメニ島の波打ち際に一段と大きな溶岩がある。その
褶曲構造があまりに見事なので、写真に収めた。褶曲構造とは言っても、巨大な枕状溶岩の一部
と表現すべきかもしれない。
ボートはネア・カメニ島の北を回ってオールド・ポート港を目指した。
フィラの街は300m近い断崖の上にあるので、海抜0mの港から登らねばならない。昇り降りの手段は
3通りある。
@ 徒歩
A ケーブルカー(5ユーロ)
B ロバの背に揺られて(5ユーロ)
時計は12時を回っていたので、早くお昼を食べたいので、AのケーブルカーかBのロバ だ。多数決で、
ケーブルカーに乗ることにした。
お土産物屋さんの間を縫ってケーブルカー乗り場に行き、切符を買う。この日は(も?)30分待ちとか
1時間待ちの時間帯があったのだが、食事時とあって5分も待っているとケーブルカーに乗り込めた。
ケーブルカーは大柄な外国人なら4人も乗ればいっぱいで、小柄な女性でも6人乗るのは窮屈そうな、
かわいらしい大きさだった。
フィラの街は、土産物屋やレストランの間に狭い通りがあり、行きかう人たちで混雑していた。真っ先に、
食事をするレストランを探す。
女性陣が表にあるメニュー(価格表)と込み具合を見て、「ここがよさそう」、というレストランに入る。
それぞれ、自分の好みで注文するのだが、「わたしも、それ」、と同じものを注文する人が出てくる。まず
はビールで乾杯だ。
銘柄は、なぜかトルコ語で火山を意味する " VOLKAN " (英語の VOLCANO)で、ギリシャではNo1の
銘柄で、ここサントリニート島生まれだと後で知った。
このビールは溶岩でフィルターしてから瓶詰めしているのか、” LAVA LOCK FILTERED " と謳(うた)って
いるのが私が注文する気になった理由で、”黒”と”ブロンド”があるので、私が注文したのは”ブロンド”だ。
【回顧談】
学生だった20歳くらいの時、サントリーのビール工場を見学したことがあった。見学の最後は、お決まり
のように、”ビール飲み放題”だった。飲む前に、ビールの種類の説明があり、昔は今ほど種類が多く
なく、珍しいのは”黒ビール”くらいだった。「黒ビールは、歳をとって○力が減退した人に良い」と聞いた。
これが頭にあって、まだ黒ビールを飲もうという気にはなれないでいる。
お腹が一杯になれば、あとはショッピングだ。土産物屋などよりも面白いのは地元の人たちが利用する
スーパーマーケットなどだ。果物、生鮮食料そしてアルコール類までリーズナブルな値段で購入できるのが
魅力だ。
こうなると好みの問題があり、グループでの行動は難しい。そこで、集合場所と時間を決めて、フリーで
ショッピングを楽しむことにする。
私は『石』を売っている店に眼をつけておいたので、そこを訪れることにした。店先には、アクセサリーの
石と一緒に「鉱物」が並んでいる。店に入ると、ショーケースの中にも「鉱物」が展示してある。
店主に「サントリーニ島かギリシャの鉱物があるか」と聞くと「サントリーニ島のものはないがギリシャ産は
ある」と言っていくつかの標本を見せてくれた。
翌日と翌々日アテネに滞在するのだが、鉱物標本を買えるとも限らないので、”買えるときに買っておく”
ことにした。いろいろ品定めした挙句、アテネの南、エーゲ海に面した港町にある「ラブリオ(LAVRIO)鉱山」
産の「蛍石」と「孔雀石」買うことにした。値段は20%ほど値引いてくれて、ピッタリ100ユーロ(約12,500円)
支払いはカードが使えた。
( この旅で初めてサインでカードが使えた。それまでは、サインではダメで、PINナンバーを入力すると
ことごとく弾かれ、カードが実質使えなかった。ヨーロッパに来た、と実感した。 )
【後日談】
このページをまとめるに当り、ラウリオン、あるいはラブリオンとも呼ばれるラブリオ鉱山について調べて
みた。
最近の発掘調査で紀元前3,200年には鉱山が始まった。本格的な鉱物資源の開発が始まったの
は紀元前6世紀だ。オリンピックの華・マラソンの起源ともなったマラソンの戦い(紀元前490年9月12日)
の後、アテネの政治家で軍人のテミストクレス(524-459BC) は、およそ483年BCにラウリオン(Laurion)
鉱山で突然見つかった銀の富鉱脈からの収入で200艘の大きな軍艦を持つまでにアテネ海軍を拡充
し、アテネをギリシャ随一の海軍国に成長させ、ペルシア戦争の勝利を導いた。
鉱山労働には奴隷が使われ、その数は最盛期には20,000人にものぼった。紀元前5世紀の終わり
になると銀の産出量は減ったが稼行を続けていた。しかし、ローマ時代の歴史家・ストラボン(Strabo
63年頃 - 23年頃BC)は、「鉱山は過去のものだ」と書き残している。
20世紀初頭になって、鉱山はフランスとギリシャの会社の手で再び稼行したが、鉛、マンガン、カドミ
ウムなどを主に採掘した。
「孔雀石」とラベルを書いてくれたが、帰国後ジックリ見ると透明感が高い結晶がある。実体顕微鏡
で結晶系を確認すると「翆銅鉱【DIOPTASE:CuSiO3・H2O】がある。翆銅鉱は、18世紀後半、ロシア帝
国のアルテュン・チュベ銅山(現在のカザフスタン・カラガンダ州)で発見された当時、エメラルドと誤認
されたくらい美しい結晶だ。ていた。しかしエメラルドと違ってへき開があり、硬度も低いことから別鉱物
であると判明。1797年にルネ・ジュスト・アユイにより、「結晶を通してへき開が見える」という意味から、
ギリシャ語で「通して」を意味する"dia"、「視覚」を意味する"optima"から命名されたというギリシャに
ゆかりの鉱物の1つだ。
松原先生の「日本産鉱物型録」に「翆銅鉱」の記載はなく、国内での産出は現在まで知られて
おらず、新しい鉱物種を入手できたことになる。
私がいる店にグループの女性が入ってきて、ギリシャ土産を買うというので値引き交渉をやってあげた
が、10%しか引いてくれなかった。
集合時間になったので集合場所に行く。ここは、サントリーニ島の絶景ポイントの一つで、白い家々
と青い海のコントラストが美しい。このすぐ近くがロバや歩いて登り降りする人々のための九十九折の
道の始点(終点)になっている。
何で下っていくかが問題だ。ケーブルカーは1時間待ちの行列だという。ロバの背に乗るか歩くかだ。
”上りはまだしも、ロバに乗っての下りは危険だ”という情報に恐れをなしたか、”動物愛護”精神に溢
れあふれているのか、はたまた5ユーロが惜しいだけなのか、皆さん歩いて降りることにした。
歩きやロバの背に揺られて登ってくる人は見かけるが、ロバに乗って降りていく人はほとんど見かけな
い。
ロバは5、6頭が集団で御者は一番後をロバに乗って登ってくる。先頭グループのロバには御者の眼
が届かないのだが、毎日登り降りしているロバは勝手知ったものだ。”愚鈍”の象徴みたいな描き方を
されるロバだが、意外と賢いことを知った。
両側が石垣になった九十九折の道は石畳になっていて、石の表面は ”ツツツル” で屈曲部のイン
コース側は傾斜も急で、滑りやすくて危険だ。案の定、外国人で120キロはありそうな巨漢男性が
倒れ立ち上がれそうにない。駆け寄って外国人男性と協力して、肩を貸してやってようやく立ち上がる。
それを見ていた外国人観光客が親指を立てて、”Good Job!! ”と労(ねぎら)ってくれた。グループの
メンバーに、屈曲部はアウトコースを通るようにアドバイスする。
( ロバは賢くて、傾斜の緩やかなアウトコースを登り降りしているようだ。登ってくるロバに”幅寄せ”
されないように、注意しないといけない )
【後日談】
船に戻って皆さんから話を聞くと、この日坂道で転んで膝を痛めた、とかロバと石垣の間に足を挟ま
れたのを目撃した、という人が何人かいた。やはり、ケーブルカーが一番安全なようだ。
九十九折の道からは絶景が楽しめる。見上げれば断崖に立つ真っ白い建物群。崖には乾燥に強
いサボテンが黄色い花をつけていた。見下ろせば、さしずめ”噴火湾”と呼べるて波穏やかな海には真
っ白い大型船が停泊しているのが見える。
オールドポートの街まで降りると15時半だった。ここまで降り来るのに1時間近くかかったことになる。
船に戻る最終のテンダーボートは17:30発だから、未だ2時間ある。お腹は空いていないが暑さと乾燥
した気候で喉が渇いているのでグループの何人かとレストランに入り、VALKAN ビールを注文する。冷え
たグラスとともに運ばれてきた”BLACK"を一気に飲み干す。
レストランでノンビリした後、孫娘へのお土産などを探し、17:30発の最終テンダーボートに乗り込んだ。
島を離れると先ほど下ってきた九十九折の道がはっきりと見える。更にボートが島を遠ざかると、サント
リーニ島のパノラマを楽しむことができた。
船は19時にサントリーニ島を出港した。このあたりの日没は20時30分ごろだから日暮れまではまだ
時間がある。デッキで小さくなる島影に別れを告げる。
サントリーニ島を見る限り、観光客も多く経済危機はどこ吹く風という雰囲気だ。遅めのランチを
食べたレストランで働く20代後半の若い人にギリシャ経済の実態について聞くと、「この島は観光客
が多いので景気はまあまあだが、本土のほうはひどい」と話してくれた。
翌日、翌々日とギリシャ本土で過ごし、その実態を知ることになる。
(2) サントリーニ諸島の鉱物
サントリーニ諸島は火山島で、溶岩に伴ったり、現在も火山活動している証拠の噴気活動に
伴って各種の鉱物を観察できた。
1) 溶岩に伴う鉱物
まず圧倒的に多いのが真っ黒い溶岩で、手に持つと”ズシリ”と重たく感じる緻密なものから、多孔
質で手にもつと軽い「軽石」と呼べそうなものまである。いずれも鉄分が多いようで、表面に赤褐色
の酸化鉄が付いているものもある。磁石を近づけると吸い付くものが多い。
溶岩の表面には、白色〜透明・ガラス光沢の「灰長石【ANORTHITE:(NaAi2Si2O8】」が斑晶として
観察でき、まれに黄緑色の「オリビン(橄欖石)【olivine:(Mg,Fe)2SiO4】」を含むものもある。
オリビンは 「苦土かんらん石【FORSTERITE:Mg2SiO4】」と 「鉄かんらん石【FAYALITE:Fe2SiO4】」との間で成分が
連続的に変化する(固溶体をなす)ものを指す一般的な呼び名だ。ネア・カメニ島のものは、色から
判断して「苦土橄欖石」だと思う。
量的には多くないが、灰白色で見るからに珪素分が多そうな溶岩(安山岩?/流紋岩?)もある。
斑晶として「角閃石【hornblende:KAl2(AlSi3)O10(OH2)】」を含んでいる。この表面に鍾乳石〜
仏頭状の「玉髄【chalcedony:SiO2】」が観察できるものがある。
「玉髄」は火山活動に伴う熱水作用で生まれたメカニズムも考えられる。
2) 噴気活動に伴う鉱物
今でも火山ガスを噴き出している周辺では、黄色や白色の鉱物が観察できた。「ネア・カメニ島は
現在も”活火山”だ」とガイドが説明していたが、その理由は噴気活動を続けていることだそうだ。
観察できる鉱物の大きさが小さいのは、噴出するガスの量が少なく大きな結晶に成長するだけの
原料が供給されないためだろう。
写真に示す鉱物は、小さな砂金を探し出すときと同様に、実体態顕微鏡をのぞきながら、唾をつ
けて濡らした楊枝で拾いだしたものだ。
一番目立つのは黄色い「自然硫黄【SULFER:S】」だ。形が樹枝状結晶の一部をなしているようで、
白い鉱物で鑑定できたのは、へき開が特徴の「重晶石【BARITE:BaSO4】」くらいだ。これも、
( Technology of Mineral Watching , - Precision Pannning - , Yamanashi Pref. )
楊枝で拾い上げ
過冷却水滴からなる濃霧が樹木に付着して凍結した「樹氷」を思い浮かべていただけると判りやす
いだろう。
樹枝状結晶図 「自然硫黄」
【「鉱物採集フィールドガイド」に追記】
硫黄(S)を含む硫酸塩鉱物の一種だ。
「重晶石」
6. 参考文献
1) 草下英明:鉱物採集フィールド・ガイド,草思社、1988年
2) 松原 聰、宮脇 律郎編、日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年
3) 地球の歩き方編集室編:各国編2013〜15,ダイヤモンドビッグ社,2015年
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